ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたっ。
あなたの感受性。あなたはそれでよろしいっ。
あなたの反芻や熟慮もそれでよろしいっ。
敢えて「熟慮」と書きましたが、あなたの書いている悩みのそれは、
「下手な拘り」や「執着」「陰険」では決してありません。
あなたがすべてのことにおいてそうして癇に障り、思い返すのかは不明です
が、きっとすべてではないでしょう。あなたにとっては重要なことに相手が
ズカズカ踏込み、いいえ、厚かましいまでに恥知らずに触れて言い、
あなたをいずれ傷つけた。あなたは傷ついたのです。
先ずは自省の欲しいのは、むしろ相手の方なのであり、あなたは闇雲に相手
の揚げ足を取って非難したり、糾弾したいのではないのです。きっと。
だから、あなたは自分の思考をそれでよいのだと「安心なさい」っ。
しかし、待ちなさい。
写真のことはあなたの思いだけで済むのとはちがう。
その彼はあなたの醜悪を微塵にもあなたの羞恥心のようには思わず、それが
彼の自然だったのです。写りたくないあなたも正しければ、挙げてしまった
彼もおかしくない。しかし、肖像権とまでは言いませんが、写真は幾重にも
写っている被写体に気を配るのが今の常識です。その意味では相手が拙い。
あなたのあんぐり開いた口が見えることまで気に掛けるのが尤もで彼が悪い。
しかし、悪気は無かった。
そこで、あなたの問題が浮上する。
あなた、自分を恥ずかしく思う劣等感はあなたを息苦しくさせるし、あなた
の夢や憧れとの開き・乖離であなたの陰鬱を増やすだけになります。
あなたが生まれて来たのは、あなたを悲しくさせたい方向性などまるでなか
った筈なのです。あなたも笑顔で自ら人と接して笑い、あなたが認められる
人生であるべきなのです。
そのためには、負を正とし、肯定できる強さを持たないといけません。
あなたの頬張ったブザマは隠したい恥じではなく、そんな面もある愛嬌だと
あなたが自分を全部大事に肯定しないで生きては行けない。
世の中は残酷です。美意識は残忍です。
しかし、世の中も、美も、あなたが黙って怖気づくところに巣食うものなの
です。あなたがあっけらかんと自分を笑える寛容と、それでいい、それが
自分だという慎ましくも勇気を持てば、誰も殊更嗤うことなどないのです。
自信は要りませんが、肯定の自己愛は持ちなさい。
それが親への愛でもあるのです。感謝でもあるのです。
あなたが生まれてくることをただただ嬉しかった母を悲しませるような自己
否定で生きることを赦しません。
あなた、ありのままのあなたを愛してくれるカレシさんを探しなさい。
上辺の自己満足や見かけの美にだけ酔っている目先男は要りません。
本当の愛とは、痛みを知る者が自分も相手も肯定し、なお且つ、マイナスを
二人でプラスにしようとする理解力の有る男です。
最後に、上昇志向と美への憧れは醜き者の「心への挑戦状」なのです。
その挑戦にあなたはありのままで受けて立つ勇気で、悲しさからの呪縛から
解き放たれなさい。キャップテンにも友人にも変わりたい心を述べて謝ると
道が拓け、あなたが変われる契機になるでしょう。
真理之丞あなた (2011/07/17 Sun 08:18:55) pc *.18.177.128
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