
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたは強引でよろしい。
もっと会ってほしい。会いに行く、会いに来てほしい。
欲しい欲しい尽くしができる燃える恋をすべきです。
っと言うのが、破談承知のあたくしの意見なのです。
というのは、
遠慮の美学は疑問と齟齬の兆しを生むからです。
ネット蔓延る以前の、大昔の手紙時代ではおそらく待って信じる忍耐が
華麗な華を咲かせました。だが今や目移り物色千万の時代です。
暇と称してなんでも興味を埋められる時代です。
そんな時代に、二週間三週間と会えないというか、会わずに思い遣るの
は誠実なようで、心の裏切りに鈍感になるのと背中合わせ。あなたへの
意識も希薄なものとならざるを得ない事実があると思います。
慮って(おもんばかって)という美しい態度や
尊重という阿り(おもねり)や、
気遣いというお仕着せは、
実は、真の恋には不必要なのです。
しかし、ここからがあたくしの真の見解です。
あのね、カレシさんは、「カレシが居る自分像」に酔って
自分を美化した空想オナニストまがいに自己満足で納得するタイプなの
ではないか?!というのがあたくしの推察です。
つまり、自分には愛してくれるあなたが居る、
この会えない時間とじらす時間こそが恋の醍醐味といわんばかりに、
一緒に道を築く、経験を重ねる、
というよりは、「カレシの(ちゃんと)居る自分」に満足なだけで、
あなたに強く自分のマーキングもせず、あなたと共に考えるという日常
が問題ではなく、早い話が恋に恋する乙女型ナルシストなのだ、
というのがあたくしの想像なのです。
そういう彼には、わざと、あなたの行動に付き合わせる提起をもちかけ
て、どんな風に真剣に喜んでいるか、あなたから何かを聞き出そうと
しているか、それを確かめるといいのです。
そういう日常の共同(協働)を白けるように片付け仕事のようにしたり、
本気であなたの身になって発言していない時、
彼はあなたの期待するカレなのではなく、「上辺人間である」と
あたくしなら思います。カレシの毎回のエッチは、恋人ごっこの確認
作業ということともいえましょう。
たまに会って、あたかも「模擬恋人」を演じるかのようにあなたのため
ではなく恋人の居る自分を確認しているだけのカレなのです。
もちろん、いろんなカップルが居てもいい。
しかし、あなたには、彼を試し、本気で恋する季節を重ねて欲しいもの
です。何年も月日を重ねて来た歴史も無いのだから・・・。
真理之丞縅し鑓 (2011/08/31 Wed 23:44:42) pc *.18.177.128
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