
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
大自然の中で、アルプスの少女ハイジのように楽しむのでない限り、
一歩外に出れば、お金を要するものです。
その人ととの恋を成そうとすること、また、誘われることに乗る、という
ことは二人分の出費範囲を覚悟するのが大人です。
年齢差、身分等関係なく、咄嗟の判断も含め、臨機応変で出費の覚悟を
いざ履行できるか否か、もしも使った(使わされた)としても、それを
後悔したり、悔やむのでは、恋する資格はありません。
そして、自分の成せるデートをもちかけてみることも妙案で、そういう
対人力、提案力、また演出力も人間性に帰結するものなのです。
結果、
年配者が出すことも延々とは続かせられないと配慮でき、
若者が(若年者が)奢られ続けて平気であってよい筈もないし、
ここでは先に払って善しとする涼風を吹かせるのも思慕のうち、
また、若者に思いがけず何かを贈る器量も年配の醍醐味。
つまり、なんでもかんでも一律にはいきません。
そして、暗黙のうちに懐具合を察し、涼しく先手をかますのも美しい。
こうしたすべての臨機応変の結果で、
潰れてしまったしまった恋は、それまでの縁なのであり、
使った投資は期待度の夢にかけたお金として、計算するものではないのが
あたくしたちの覚悟というものです。
でも、その終わりの際に、どう気持ちを届けて終わらせるか、その感謝の
言動が重要です。明らかに世話になった人に自分のできる・少しは奮発も
試みた謝意を届けられるかどうか、
それは、究極的には言葉だけであってもよい、
そうした人間の器量で費やした使徒の差は諒解していくものなのです。
年齢や身分が当たり前ではなく、老いも若きもその都度もらった感謝を
忘れない、また、大小を察し得る人間としての頭脳を持ちましょう。
若い小僧のちょっとした心配り、気遣いの100円のジュースだって暖かな
ハートに火をつけるものなのです。
富めようが、貧しかろうが、値踏みすること莫れの愛を見出しましょう。
真理之丞仁兄愛 (2011/10/22 Sat 23:43:12) pc *.18.177.128
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