
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたっっ、
はっきり申しますが、あなたの言いたいことはおおよそ想像は
できるあたくしです。
しかし、甘えるのもいい加減にしなさい。
さもなくば、あなたがこのままその哀しみとやらの淵から這い上がれ
ないままでしょう。(と仮に敢えてキツク言い放つのはお許しを。)
だったら、あなたが愛を不足に感じたその生育時代の折々に、
家族や彼らがあなたにどんな言動を注げばあなたは今までそうした
思いを抱かず、満足だったのでしょう。
あなたは野に独りで彷徨い、明日の食い扶持をたった一人で求め、
今まで生きて必死の投稿をしたのですか。(これは例えの弁)
あなたが今、こうして生きながらえているのには、どういう時であれ、
大小・無数の愛が実際にあってあなたを大人にしてきたのです。
あなたは一人で何でも背負って歩んで来たのでしょうか。
あなたの語るあなたの孤独、あなたの言う愛の注がれなかった空洞は、
すみませんが、どれもこれも、あなたの閉じた目、閉じた心が為した
必然である可能性が非常に高いもののように思われる。
そして、あなたはあたくしの記述をもっと読みなさい。
あなたへの質問はあたくしにとっては前口上なのであり、あなたに
問うたのは、むしろ、どうだったらあなたは幸せだったのか、という
ことなのです。心に穴が空かなかったのかということです。
自己卑下の反省台詞は要りません。思うままでよろしい。
しかし、自己の殻を閉ざして相手を聞かず(理解せずに)苦しみだけ
を自分しか解るはずもないとするあなたは、実際には傲慢なのです。
もちろん、あなたの痛みをあなたでなければその傷を膚で解ることは
ありません。
しかし、そうした心の枯渇をあなたはこれから出逢う人にどうされ
ようと求めて対して行くつもりなのでしょう。
こうして欲しい、こうあるべきであったろう、
という、そうした過去の無念や殺伐は、全部があなた中心の悔しさや
嘆き=立腹なのであり、もがいてきた必死さも、その程度のことは、
(例え自傷の沙汰であろうとも)世にはごまんと在るのです。
あなたは黙って彼氏に肩を抱かれたいだけなのですか。
エクスタシーに酔って、過去の怨濁を一掃して欲しい彼を欲しいの
でしょうか。あなたが肯定される嘘の愛が欲しいのでしょうか。
あなたに必要なことは、知らず知らず思いこみがちな思考の枠組み
を取り去って、相手のことをもっと聴き・知ろうとし、自分照準で
消化するのではなく・成される対人関係で自己実現を図り、内省と
いう名の自己陶酔(被害者意識)を払しょくすることかもしれません。
あなたの哀しみの苦節はもう済んでしまったこと。
反省は刻みながらも、将来を見据える能動と相手に即して応じる心が
求められるのです。そうした中でこそあなたの傷は風化するのです。
自分ほど苦しんでいる者はいないが如くのあなたの負の回顧は、
あなたの志がなんと甘く弱いものかを露呈させている。
あなたはもっと愛される自分像を考えて行きなさい。
突き放したように書きましたが、あたくしはあなたが過去から解放
されたときに、あなたに真の愛が降ってくると信じてやみません。
真理之丞涙絶ち (2011/11/08 Tue 03:00:57) pc *.18.177.128
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