
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
ココスでリゾットを注文して出てきたものを一口食べるなり、
すぐに近くにいたウェイトレスに言いました。
『これ、食べもの?』
不味いものに金を払うのなんてまっぴら。言わなきゃ分からないんです。
リゾットなんて代物じゃないんだから。
仲間は面白がって見てますよ。
僕のそうした行動を何度となく見ていますから。
だから仲間で居られるんです。
彼らはそんなことは決してしないけれど、不愉快にも思わない。
だから長い付き合いでの絆は、遠慮なく続くんですね。
僕が、例えばそうした言葉を発する時は、必ず説明出来る理由がある。
こうだからこうだという説明が明確に出来なかったら、
そんなことは口に出しません。
しかし、オペラ歌手、狂言、ピアニスト、画家、書家、舞踏家、
伝統工芸の従事者…とりわけ芸術の範疇では、
あなたのしていることは何なんだと言われて仕方が無い者が多すぎる。
今という時代は、何にしろ甘いんです。不満以外の何物でも無いんです。
それは、現代にあるものの殆どが遥か昔に完成されてしまっていて、
後は奇をてらうか、独りよがりを垂れ流すかしかないからかもしれません。
過去のものを比較に出すと、今を生きるのに何故そんな必要があるか…
なんて言葉を平然と吐く人達が多い。
時代の遺物に囚われて、前に進めない人間とまで言う御仁すら。
生粋の京都人である老舗の主人といつも笑うのですが、
彼らが間違っているというより、時代に乗れない自分達が悪い…
そう思いながら黙っているしかない世の中になってしまったと。
相談者の彼の不満が、そうしたものであるとしたら、
あなたの憤慨は彼を怒らせるのに十分なのです。
ブスという言葉が、美意識の劣悪を指すものであったら。
馬鹿という指摘が、身の程知らずを指摘するものであったら。
…と、そんな見方も出来なくはない。
ま、これは枕に過ぎませんが。(笑)
ピアノで聴くダリラのアリアに、それを紹介して下さった憧憬の人の、
限りなく広い知識と、柔軟に自由な発想の可能性と魅力を示して
余りあるものでした。
盲亀浮木に遭う…宇宙を遥かに上回る広さの海原に漂う枯れ木が私。
その人との出会いは、私にとってそれほどの意味を持つのです。
http://www.youtube.com/watch?v=whM848cm_ic
夜光虫 (2012/01/04 Wed 21:57:25) pc *.117.163.189
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