
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
彼氏とどの程度話せるか、話すか、
それは実は話の「受け手の見識」次第なのですね。
もっと言うと、受け手の愛によってその恋は生きながらえることができ、
受け手のうんざりや白けることの性急さでその恋は哀しく終わる。
つまり、その人を愛するということの具体性は、
その人を受容することが大前提となる先決事項なのです。
簡単に言えば、自分を消す・譲る必要はなくとも、相手に添うことの愛
を持てるかどうか、が明暗を分ける。
そして、これを可能にすることがたった一つあるのです。
それは口幅ったいけれど、「尊敬」できるかどうか、なのです。
あなたは彼を尊敬できるか、
尊敬に足るほどの彼の軌跡があるかどうか、
そして、この尊敬は、小さくてもいい、彼の身分や身なりではなく、
彼がどう応えられる人間かということに尽きる訳なのです。
彼の眼、耳、口、舌、それらが動員された結果の反応の根底に貴賤を
問わず人を見る目があるかどうか、というのが、尊敬できるかどうかと
いうことの中身なのです。
おそらくはそれに遠いあなたの彼氏さんで残念ですが、
そうした人の本音は、吐かれて然るべきものだろうと思うのです。
そして、その人はこれで済むと思い込んでいる迂闊を詰る辛辣では
あっても、自分の優位性であざ笑うのとは別の批判精神であるべきなの
はいうまでもありません。
あたくし再々考えてみましたが、
日本人は黙る美学の国なので、
ゲイが気付きを言いまくるのも、また日本には良い刺激なのかもしれ
ません。それだからこそ、ゲイの本音や愛憎が取り沙汰され人気を得る
のかとも思います。
黙る国の美学(人に流される罪の美学)は実は「耐える美学」であって、
ズルい逃避の知ったかぶりであってはいけません。
あたくしは黙る人間は実は現実の自分としては嫌いなのです。
そういう意味で、彼は彼なりに素直なのでした。
ですので、あたくしが最初に書きましたように、自分を誤魔化す劣等感
のけん制でものを吐き棄てたらいけない、ということだったのです。
あたくしの星はまだ輝き続けていることに涙を捧げたいpace mio dioの
夜です。ココスのリゾット冒険してみませぅ。
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真理之丞恭倹愛 (2012/01/05 Thu 01:32:04) pc *.18.177.128
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