
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、すぐさまのお返事ありがとう。
あなたの「ロボット観」ですが、
その人は、なんというか、無機質な、あっさりした感じで、
相手がどうであろうと、深入りも、親しみの会話もなく、わかった風
な顔で、素っ気ない、善く言えばクールという人だったのでしょうか。
そうならば、その人は、
その人の経験則や反省から、ほどほどに付き合うという彼の中の良識
でそんな風だったのではなく、
人の満足に自分を捧げる気などサラサラない独善型なのではないか、
と思ったわけなのですが、なぜなら、あなたが、解ってはいてもでき
ない(しない)人、と書いているからです。
だのに、あなたはその人の世界観を見てみたかったと思い出している。
しかし、世界観というのは、その人が大いなる根拠を以て、その人の
あくなき追求を実践している人に言えるものであって、
ある種の彼の自分本位さ=不器用に沿うことを一緒にする価値など
なかったのではないかと思ったわけです。
それは、単に新鮮味というものであって、それに同化して恋路とする
シロモノではない、と、あたくしなら思います。
これは危険な、スリリングさへの一種のマゾヒズムであって、堅固に
自分を貫く人に染められてみたい、
翻弄されたいかのような「自分にないものへの憧れ」なのではないか、
そして、それは今安泰だから夢想できるのであって、そんな恋に身を
やつして「いずれ」フラストレーションを感じるのも自明なのに、
独善男にまた絡もうというエクスタシーの眼など、
夢物語に等しかろう、というものです
それを物足りなさでまた追いたいのであれば、特定の人と連れ添う
資格はなく、あなたは実に「欲ボケで散漫だ」、という意味です。
そっと胸の内で、こんな男もいいよな、彼も魅力的だな、と思うだけ
ならまだしも、自分の過去のセックスまでした相手との見果てぬ夢に
今またよろめくのは、今の彼氏の注いでくれている愛を冒涜ているも
同然という意味です。彼に捧げる道を選んだ自分に反する、ということ
なのです。選んだことで「他の人へのそれとは違う」あなたの築き出し
た「絆」がもう在るのだ、ということです。
あなたの欲しい「ワクワク感」をいつも追うような本能のままに行く
のであれば、今の彼氏も遊び対象にして、無二の絆を断ち切って、
他者への性欲と今の彼を同列視すべきなんだ、ということになる。
満足していないかもという懐疑は、過去にその人をモノにできなかった
自分の限界を実はあなたが認めることができていないからで、
「ぬくぬくしたもの以外に本当のエクスタシーがあったのでは」という
幻想なのです。
真理之丞幻想罪 (2012/01/07 Sat 00:09:02) pc *.18.177.128
この回答が参考になった: 1人 (携帯からのみ評価可)