
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
中世文学でドクターを出た友人は、国文科が消える時世で講師の口も無く、
塾からも敬遠されて、前年の税金にすら困ったのです。
しかし、その研究が何より楽しい以上、止めるなどとんでもない…
友人はそれを『知的マスターベーションの楽しみを知った者の運の尽き』と笑ったのです。
あなたも管楽器に魅せられ続けているのですから、
それはまさに“天職”でしょう。生活の苦しさなどで捨ててはなりません。
管楽器奏者にも、声楽ほどではなかろうと絶頂期の限定というものはあるでしょう。
或いはそこから、演奏家としての資質を諦めなければならない脅迫意識もあって、
30の声を聞いて気を弱らせているのかもしれませんが、
天職である以上、あなたにはあなたの管楽器との付き合い方があり、
管楽器奏者としての在り方もあるはずです。
頑なな理想は芸術家につきものです。
しかし、芸術に属する何であれ、人の創作である以上、結局“人格”に帰着するでしょう。
創造物は“その人”と“生き様”の反映という事です。
あなたは、行動の何であれ“結果”ばかりを考えて来られた方かもしれませんが、
たかが恋愛に、しかも容易くセックスから始められるゲイの交流の特権に、
堅固な愛の形など最初から求めてどうするのです。
七面倒臭く考えず、好きになったら好きだと言う、
付き合いたかったら付き合いたいと言う…
もっと気楽に流した“結果”であっても良いでしょう?
どんなに気負っても、相手の感情はまた別なのだし、
あなたの頭で考えた“決定”より、ずっと良いものを相手から授けられもするでしょう。
芸術の創作に最も忌むべきものこそ“概念”なのだし、
恋愛に限らず、とにかく己が定めたものなどまず捨て去って、
場数を踏む事を勧めます。
下手な鉄砲数打ちゃ当たる…結果など後からついて来るものと、
人の心など頼りないものと、恋は野の鳥きままものと、
頬に風を受け流すような気楽さで、数多い恋を重ねて下さい。
ルビンシュタインだって、サロンで散々浮名を流したでしょう?
それは必ず演奏の厚みとしても反映されるでしょうし、
最良な行く末を示してもくれるでしょうから。
夜光虫 (2012/01/25 Wed 15:51:57) au 050040169896**
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