
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたの気に入る洋服の話に例えましょう。
もしもあなたが今、お出かけの際に着る洋服が欲しいとして、
その洋服は有る目的にだけ有用なものよりは、
シックで落ち着いて、どこでもそれなりに場面に沿う・溶け込めるいでたち
を適えるものが良いと思うことでしょう。
そして、そのような洋服が(超)高級店のコーナーの、よりどりみどりの
一角に売られているとあなたは信じるでしょうか。
洋服が一番映えるためには、
何よりもあなたの肉体と精神がどの服をもこなせるまでに高められていな
ければなりません。いくら良い品も、それを纏う人間が最悪で醜ければ、
光を発さない。服が歩いているほど陳腐な姿もありません。
そして、マッスルで鍛えているから美しく映えるというものでもない。
そして、そんな服が東京でしか買えないのでもなく、
この時代、日本の津々浦々でそれなりのモノが溢れて贅も尽くせる社会です。
もちろん田舎の僻地では限界も多い。それは話は別になります。
しかし、その風景と周囲の環境に合ったいでたちで人生は十分に豊かに過ご
せるものなのです。その中であなたが気に入る姿で歩むのが人間の本来の姿
なのです。誰もが雑誌の中のハイソや洗練でなくていい。
それよりも、本当に着心地の良い、自分が快適な自分らしい洋服というもの
が不思議と傍目にも光って見える。
この例と同じように、
至便で煌びやかな東京の雑踏の中にしかあなたの快適=愛が無いのかといえ
ば、決してそうではありません。
とっかえひっかえ手当たり次第で何も残っていない目くらましの境遇には、
本当の人生の生きるよすがの愛は無いことの方が多いものです。
あなたの年齢と、あなたの恋愛以外の日々の進み方であなたはどういう道を
歩みたいのか、その上でどこでもその場にそぐう衣類を見つけられるもの
なので、あなたは恋愛以外の人生で判断するべきだ。
その安息の道の上で、そこでしか得られなかった恋愛も浮上するのが人間の
暮らしというものです。例えゲイの恋愛ででもそう。
ただし、超一流の店の品には微塵も無い糸くずや不徹底のほころびは地方に
は多いかもしれない。しかし、それは自分の道と恋愛の上ではなんの影響も
無いほど(自己満足でしかないほど)どうってことない差なのです。
あたくしもあなたは地方で自分を見つけることができるのではないかと思い
ます。
真理之丞金襴闇 (2012/05/06 Sun 20:20:49) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 2人 (携帯からのみ評価可)