
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
顔は二種類あります。
一つは生まれながらに育ってきた遺伝の顔。皮膚。汗かき、乾燥肌。
これは育ちの反映で、両親の成した環境のこともありますが、
大方は遺伝的なものの表出のような感じです。
そして
二つめは、気持ちの持ちようと本人の思惑が出てしまう、それが刻まれる顔。
これは、喜怒哀楽によってもなるけれど、
それよりも、本人の腹の中=魂胆=意地が現われる顔なのです。
本人の感性が出る顔、とでも言い換えられる。
あなたは一つ目の顔を悲観している。
二つ目の顔はあなたはどのような顔なのか、あたくしは観てみたいものです。
そして、ここからが意見なのですが、
世の中は容姿と顔がすべてです。
っと、敢えて言ってしまうほど、それで動いています。
人が人に心では対抗心が有ってもひれ伏すのも、誰かを例えば採用するのも、
そして、誰かと近づきたい、近づけて何か嬉しい、と媚びることも、
そのように誰もの心理でどこでもいつでも顔(見かけ)なのです。
体躯の爽快さが顔の難を打ち消す、ということはありますが、それでも顔の
威力は大きい。
でも、それは仕方ないことなのです。地球には自然の様相まで美醜で見るの
が人間の指向なのであり、人間は、自らが残虐に食べて排出して、そのまま
野放図では、醜く汚いものであるからこそ、誰もがその対極の美に憧れる。
つまり、自分で自分が汚い存在であることを生きて来て知っているのです。
その反対の美に向かうのは、汚さの証明。
しかし、人間には美醜を超える心根や魂を直観で嗅いでしまう恐ろしい感受
性もあるから複雑で、ただの綺麗はパッと見だけのことで終わり、
美の向こうに心を嗅ごうとして自分の感覚に寄せようと想像してしまう。
そして、それが心は汚れた存在だと知り、綺麗からこそその魂が汚れている
と知ったらその綺麗さは徒にもなり、憎まれてしまうまであるのです。
あなたは生まれながらの第一の顔を自分が愛してがえる感謝で生きなさい。
生まれて来た生きることのできた・できる感謝です。命への感謝。
そして、第二の心の作る顔で、努力不足は無いか、加齢にはどう向き合って
いるのか、おざなりは無いか、心は萎んでないか、考えなさい。
そして、次々スルーされてもそれは鈍感になれという意味ではなく、出会い
というのは第一の顔で去られるのが人間の表面性なのだからと悲しむのを
辞めること。
そして、自分をケアする努力と、自分が楽しめる趣味のような、時を忘れら
れる対象を以て進むこと。そして、すぐに遇う別れるではなく、じっくりと
あなたを知ってもらう会話のできる人間性を、あなたこそが求めて準備する
邂逅(出会い)を設定なさい。そう、設定。
結論として、あなたの成し方・感性に問題があるということなのです。
真理之丞美醜漣 (2012/05/12 Sat 07:45:16) pc *.198.54.171
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