
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、
死ぬということは、
歓びも恥も、高貴も懊悩も痴態も、全部全部、悲しみに変わるものなの
です。死は万人来る宿命。それを誰もが知って怖れ、他者のことは観ようと
しないし、近親者のことは焦って参じるが、それもだんだん悲愴感が
薄れてきているような時代です。
何を於いてもふつうは両親の死の痛み、子どもの先立った痛みを言葉にでき
ないまま心で反芻するものです。そしてそれもどこかで日毎薄まっていくし、
それでなけれでば生きられないとは、人生はむごいものなのです。
その人の性癖を、その場で笑って憐れんでも、それは無言の悲しみに変わる。
そして、心ある者は、だからそうだったのかと合点して思いをめぐらせ、
悲哀の無言に変える。
あなたが我々に警鐘を与えるのは、あなたの自分を馬鹿にしている証拠の
軽率であって、自分を認めない、笑って誤魔化すあなた自身の露呈でしか
ありません。その人の心の闇を微かにでも思いをめぐらせる弔いの気持ちが
あなたにはなかったのでしょうか。
もちろん、深刻ぶっても何も起こらないし、誰にもそう意味はないでしょう。
しかし、あなたには在るのです。
花一輪をそこにそっと置くようなあなたであって欲しかった。
しかし、あなたの提起は上記には矛盾しますが、一抹の覚悟を思いめぐら
せる価値も寸部はある。
誰しも、死に向かうとき、その可能性のとき、
自分の身辺を整理すべきことは、生きた人の思索と覚悟の証しであり、死を
受け容れて死後の何がしか手を煩わせる人への思い遣りかもしれません。
そのためには、身辺整理は非常に意味がある。
そして、シンプルな中で、自分の覚悟はより堅固になっていくものです。
雑念の多い、雑多な邪魔なモノの放置の中で暮らすのは死を侮っていること
かもしれない。
人を笑うことは自分を貶めること。それだけは言えているのです。
http://youtu.be/u4Gm9zDIcOI
真理之丞花一輪 (2012/05/31 Thu 23:30:52) pc *.198.54.171
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