
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
なんでもかんでも形式主義者
って人が居たりします。
形式をを履行することで喜ぶ心。
実は、これは「安心感」が原因なのです。
それに則ることを「できた自分への自己陶酔」なのです。
そして、そういう事を重んじる人は結果至上ではなく、そこへのプロセスを
弄びたい自己満足の自慰型人間とも言える。
つまり、好き合って・いざ恋人カップルになると、
自分は自分、相手は相手、相手を尊重して独立型を放置できるのではなく、
俺のこの部分をこう補って欲しい、この部分をこう担って欲しい、
こうあって欲しいという自分の補完を相手との恋のバロメーターにして、
二人が相補的=実は自分満たされを欲しいエゴイズムを「恋人たち像」と
勘違いしているのです。
これは、女役、男役、という性の分類意識ではなく、
単に、凹凸論、ネジ論と同じで、凸と凸はしっくりいかず反り合う。
だから、よしよしと包み(抱擁し)恋人が手中に居ることを実感し、
ねぇねぇとしなだれかかって気分上の凹凸論を演じたいのだ、
ということなのです。
すなわち、それは「女になってしまう」女性性の実現への執念ではなく、
鋳型に収まって満足して・ある種のママゴト実現をしているのだ、という
ことなのです。
人間は、
イカつい野郎や骨太男ほど弱かったり脆い精神の人が多い。
すぐに泣いているヤワそうな女性ほど実際にはしたたかでとても強い。
だから、恋人になれたことが嬉しく・二人満足の世界に居る時は、
自然に凹凸感情に向かってしまうのかもしれません。それはきっと日頃や
今までの青春で満たされなかった時代の、寂しさの裏返しの実現なのかも
しれません。
一つは、姐さんが本気で溺れる恋に足りずに来ていることが原因。
一つは、姐さんの遊び心の余裕のない精神性が原因。
一つは、姐さんの依存されたくない逃避願望の発露です。
人間としてフィフティフィフティ。
でも、凹凸で恋をよい味わいたい。
実際に女性になりたい方と、疼いてしまうものになってしまった人には失礼
はおゆるしを。しかし、演じたいのは渇望の裏返し心理の成す自然、という
ことのように思ういますわんこ。
女々しいスタンスだからといって弱い訳ではないのです。
真理之丞女々檄 (2012/08/03 Fri 21:55:49) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 1人 (携帯からのみ評価可)