
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、
少し言葉は難しくなりますが、
羞恥心の恥ずかしい顔と、我慢している忍耐の顔、その様子、というのは
サディズムの格好の餌食(えじき)なのです。
つまり、あなたが苦しそうに逃げ避(よ)けて耐える苦渋の顔ほど、例えば
顔の紅潮(こうちょう)ほど、彼らは飽きるまで攻撃を辞めない。
あなたを「おちょくる」のが彼らのフラストレーションの解消であり、
彼らの連帯感の絆にまでなっているのです。
あなたには酷なようですが、人間とはそういうもの。
嘲る(あざける)ことが「ノリ」で許されるという彼らの認識は、彼らが
まだ大人に成り切れていないからでもあるし、
もっと言えば、大人でも、そういう陰湿や陰の声による貶めや牽制に
満ちているのが社会なのです。
では、それに負けないためには、どうしたらいいのでしょう。
あなたが誰かに直訴して、その直訴先が彼らを黙らせる場合はあなたへの
おちょくりは憎悪に変わってしまうこともある。
負けてなるまじという対抗(彼らへの威圧)は、彼らを手控えさせること
ができても、今度は学外であなたを待ち伏せる危害まであるやもしれま
せん。
あなたは堂々としていればいい。
しかし、特別隠していないあなたの判断とそぶりはどんなものだったのか、
それは再点検しなければいけません。あなたがよくても、誰かには嘲笑と
しかできないこと、或いは不快まであったのかもしれない。
あなたの権利を抑える必要はないけれど、あなたは自分がどう観えて、周囲
はどう捉えて一緒に勉学していくのかまで考えるあなたで在りましょう。
しかし、もうそれを言い出しても今は遅過ぎる。
あなたは上記の自分の在り方や観られ方というものも自分で考えて、先ず
は教師に相談なさい。ハッキリと経緯を述べ、事実と予想・想像を区別
して話すこと。そして、先生は複数の人に同席してもらえることを奨める。
一人の先生が誰かに伝えて考えるのではなく、複数にする。
亜卓志は、本当は、あなたに堂々とそいつらと渡れ(渡り合え)、と言いた
くもあるのだけど、実際には無理が大きいことでしょう。
彼らとの距離感がイジメをエスカレートさせることが多いため、彼らに斬り
込んで行けるほど話をできるかどうかが解決策の端緒となるのだけど、
今はそれはできないかと思います。
あなたは自分が自分であることの信念と同時に、大勢と共同する場合の自分
まで考えられるようになりなさい。
今は、あいつらを止めさせて欲しい、という目線ではなく、どうしたら彼等
にあなたを理解させることができるのかを、そのための教師に相談してみま
しょう。ハラスメントは非を叫ぶ人も同時にいつでも審査されていることを
知って・自分の見せ方を考えて行って欲しい。
真理之丞茨桟道 (2012/09/30 Sun 18:34:15) pc *.198.54.171
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