
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
みなさまおめでとうございますわんこ。
そして、しばし継続裡、失礼します。
あなた、あなたのネーミングは都会のカタスミのタフネスと真摯が窺える。
あたくし妙に気に入りました。
で、あたくしが当初から推察していたのには、
御祖母様は九十のご高齢でも、たぶん、その段階で寝たきりではなく、
相当しっかりなさっていて、相当頭も冴えている御婦人なのではないか、
ということだったんです。
それで、あたくしは拘って何度も書いた訳なのです。
やはりそうか、と、思ったので書いておりますわ。
それと、長男とも限らない、ともふと思いました。
問題は、お父様の出奔であって、また挙句の果てに戻ったのではなく、
お父様はその四国の地に根を下ろされて、お母様と一家を築かれた。
お母様寄りの(事業の)土台が在ったのかどうか、
一代でコト(仕事)を成すことの厳しさは、あなたの書いた生い立ちの
粗雑も頷けるほど厳しいモノだったことを想います。
今あたくしが言いたいことは、
つまり、お父様と御祖母様は永遠に絆を元には戻せなかった、筆舌に尽く
せない悲しみが横たわっている、ということなのです。
そのために、「道」はそれを涙が乾くように「仕方がなかった道だった」
というそこはかとない無念の肯定を思わせるものだ、ということなのです。
そうではなく、人生の終焉に向けて、どうにかここまで四国で頑張って
来れました、そのために、母さん(御祖母様)をどういう失意で無念にし
てしまったことか、或いはまた、母は母で(=御祖母様)あの子に何もして
あげられなかったという不憫の無念がどこかには必ず有る筈なのです。
そのために、道は仕方の無かった肯定感を生むもののようにあたくしは思う
次第なのです。
今必要なのは、同じ人生の晩節に来て、今母の気持ちも、子に思う気持ち
も解る。長い長い疎遠もあったけれど、今こうして居る我我皆は、あなた
の存在があったればこそのことだった、ありがとう、という気持ちが必要
なのだと思う訳なのです。
ということで、あたくしは、東京と四国の思い、長年の確執(わだかまり)
の道を痛い程想像した訳なのです。
桜子姐さんが「心」を否定なさったけれど、あたくしは一番良いとは思わ
ないにしても、心で今は解っている、という意味のその文字が御祖母様の
生きるよすがにもなることと思う訳なのです。
何への感謝か?それは、思い続けて幾十年の離れても思い続けた相互の、
今なら感じることのできる感謝です。そういう意味なのです。
賢者の祖母には真に伝える気概が欲しい。
生半可な思い付き言葉はいけないのです。ニュアンスは恋愛でも人生でも
とてつもなく大事なのです。
真理之丞あなた (2013/01/01 Tue 01:17:22) pc *.198.54.171
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