
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
(つづき)
また、まさとさん自身が、はっきりと自覚して、助からないときに無為な延命を希望しないと腹をくくる事です。家族がパニックになり、やっぱり延命して!と言い出す事ほど状況を悪化させる事はありません。親孝行できなかったからという負い目を感じて延命をするくらいなら、まあ亡くなっても仕方が無いと思うほど、普通に会話して一緒に思い出を作れる時期に、そうした親孝行をしておくのがよいです。
医療機関において、明確な意思表示がなされていなければ、最悪の場合、人工呼吸器をつけて、何ヶ月も生きているのか死んでいるのか判らない状態となります。感傷的な家族はまだ体が暖かいなどと言いますが、若い人でも死ぬ程辛い治療を70後半以降の高齢者が延々と続けられることの異常さを考えるべきでしょう。
日頃、信心など無い家族が、助かっても元に戻らない状態でも、「神様が奇跡で助けてくださる」など、万に一つもない奇跡を信じてどうしようというのでしょうか。本人を地獄の苦しみに落としていると判らないのは、無知で闇雲に神仏にたより感傷的に対応するのか、ちゃんと調べつくし理解して感情的に整理された状態で対応するかの違いだと思います。
準備は30歳台から始める事で、会社での地位も上がり忙しくなる反面、中途採用の制限が係りだす40後半になってから、地元で職探しは至難の業でしょう。無理して、退職、再就職失敗、親の年金を当てにして介護生活、、、、最後は、自分の老後すらめどが立たなくなるなんて事も、感傷的な反応をすると招いてしまわないでしょうか?
②、③は、いずれも負担があります。地域によりますが、在宅介護中心であれば、まずは、ご自身の仕事の確保、それだって、ピンピンコロリの①パターンであれば、折角出身地に戻っても、数十年ぶりであれば、何の地場も失って一人寂しく老後ですし。
健康維持するように、がん検診、生活習慣病健診、人間ドックを親に半ば強制的に受けさせて、適切な治療を受けさせることも大事。
健康ながら弱って来た、あるいは、軽度の障害であれば、多少費用がかかっても、介護付き住宅に入居させると言う方法もあると思います。
中等度、高度と成れば、どんなサービスが地元自治体が提供しているか、どこに申請に行けばよいか、地域包括支援センターであるとか、市区役所の老年福祉課/高齢福祉課のようなところに、日頃から情報提供を受けたり、相談に行く事が必要だと考えます。
日々の状況は、民生委員と親類に依頼するなど、親類には、面倒でも盆暮れ正月の付け届けしつつ、関係を作っておくのが必要だと思います。
なお、いろいろな問題に気がついた頃には、認知機能や体力の低下は、初期ではありません。中期以降、鈍い方だと晩期に入りつつある状態です。盆暮れの親の姿は、子供に迷惑をかけまいとする必死な姿でアクセルをめい一杯踏み込んだ状態です。それで弱って見えるなら、子がいないときは酷い生活をしています。
死ぬ間際の親孝行は無意味。元気なときの親孝行です。
ユスフ (2013/01/09 Wed 01:52:46) pc *.17.198.158 メールを送る
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