
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
三島さんの疲労感はここの全員が周知の如くです。
その精神的疲労は自分の意思一つでしか直せないので、誰も、いくらどう
日々の投稿をされてもシャリシャリ・レタスには戻せません。
あなたもそこまで誇る文学を親しんで埋没したのであれば、
その中に人生の道程の変化球も、人心の機微も全部垣間見たことでしょう。
それなのに、どうして自分は自分の時分流の道への勇気を断行できな
かったのでしょうか。
あなたの頭脳に綺羅めいたさまざまな人間群像や歴史と、
たぶん、あなたの日常に大きな開き(乖離)があったことが原因だったの
かもしれません。
今回のお悩みでは、男女の美というものですが、
その意図とは、絵になるしっくり感、ということなのでしょうか?
武骨な粗忽な男がガチで一緒に見えると興醒めということでしょうか?
思いやりもクソもなく一方通行や厭きては捨てることの茶飯事のことなの
でしょうか?
三島さんへの命題は、おそらく、人生を諦めないことに尽きるかもしれま
せん。しかし、その時、自他の年齢、世間の通常(慣わし)、羞恥心も
いろいろ思われて、なかなか実行動には移せないかもしれません。
文学の物語の完結を脳裏に刻みこんでいる三島さんには、自分の道が貧相
に見えるのかもしれません。
しかし、文学は何の為にあるのかと言えば、
その虚構の教訓を自分に活かすために存在するとも言えるのではないかと
思う訳なのです。
幸せに生きるためには、
社会の掟で押さえるツボは押さえる。=これは世間に恥じない自分=
何歳であってもやり直しを恥じない。=これは自分の誇り次第です=
どうせという結果を懼れない。=これは結果よりプロセスに充実する気概=
こうしたことがどうしても必要です。
文学の完結性で先を診過ぎる頭脳先行が三島さんの現実を萎えさせる。
文学よりも外に出て自然を浴びましょう。花を観なさい。風を嗅ぎなさい。
ゲイに生まれて来たのはたぶん、人よりも愛に切実に向かう純な心を神様
がくれたからなのです。
そこには、他人を羨む以上の自負が有っていいほど深遠なことだったと
思いましょう。文学に逃避するなかれ。それが今回の応えです。
真理之丞持続性 (2013/03/03 Sun 21:17:47) pc *.198.54.171
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