
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
まりですわ。
あなた、ご返答恐縮です。漢字を書けばいいというものでもなく、
解り辛く書いていつものこと、すみません。
あたくしは実はあなたのような人が好きなので、それで読んですぐに
書いてしまいました。ですのでお言葉感謝したいと御礼申し上げます。
まず、
あたくしの書きたかったことを復唱させてください。
それは、何も、あなたが「我が身」と「丁重なる言葉の数々」を呈して、
やっと友情が成立するのだ、ということではなくて、
「気の置けない友人」というものは、たぶん、何の気ない無駄のような
言葉の応答やちょっとした反応のいつでも向けられる気安さ、
相手なら自分の未熟をゆるしてくれるだろう、だからどうおかしくても
何でも言い合える、
そして、そういう前提だったところに、音信がしばらく無くても、
あいつどうしてるかな、と、また不意に向ける、自分を語れる、と、
そういう細切れの安心感の連続と不連続でやっと振り返ってみるとあいつ
だけはいつでも言えるし応えてくれる、
でも、もういい大人なのだから、相互の事情も尊重しよう、
彼が困っているなら実際に馳せ参じて拍子抜ける結果であっても行って
笑顔を観ようと、
そういうことが友情の交歓で醍醐味なのだ、ということなのです。
だから、仰々しく何かを深刻に、また練りに練って楽しませて気に入ら
せようと作為めいたことなく日頃の応答をすることで築けるものなので、
あなたの傾向ではそれと、ある意味、正反対なのだ、途切れてしまうの
は無理もない。ということを言いたい訳なのでした。
だからこそ、あなたにそういう立ち回り力や実践への価値を見出せない
事情や必然も有るので在れば、思い描く友情の絆を性急に求めたり、己
には無いと釈然としないでもいいのではないか。
ただし、誰も居ないよりは誰かが居てくれる人生の方がやはり愉しいの
であって、そのためには、惜しまない自分を認めてあげることが要る、と
いうような意味なのです。
ちなみに、あたくしへの問いはあなたのあたくしへの詰問(疑念)でも
あると理解したつもりですが、あたくしもむやみやたらとどうでもいい
応答を重ねるを好きではないのです。だから広く多くの交友は有りません。
でも、あたくしの欲しいものも、あなたと同じくとても限定されている
ので、自分が成せない分には焦る気持ちは無いのです。
あなたもあなたの旅に響いて語れるような人と今からでも出遭えればいい
ですね。でも、その場合でも、ちょくちょくの語り口や遠慮や良識に
下手に囚われない心の解放があなたには要るかもしれません。
自分の思っている反省像と、実際に他者が感じて見えているあなた像とは
やはり乖離があるものです。開きですね。
その部分を、自分を縛らない程度に緩めて狭めて行く努力をちょこっと
課してみてください。
真理之丞団居愛 (2013/04/20 Sat 22:22:42) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 1人 (携帯からのみ評価可)