
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
往々にして、既婚ゲイがゲイを見下す時の、あたかも天下を取ったような書きこみの根拠は、
それに口汚く罵倒する時の、言わば痛い所を突かれたというような忌々しさと同じものでしょう。
それは両方とも情けないのです。
前者の下等さは言うまでもないのですが、それに反応してしまう後者も、
結局自分の性を受け入れていられない事実を露わにしてしまっているように思えてしまうのです。
かくいう僕も、生まれ落ちた地と、あまりにも人と違う興味と感性ゆえに、
何かにつけ目立ってしまうほど肩身を狭くせざるを得なかったのは、
本心をそれこそ懸命に隠し続けなければならなかったからでした。
その要因こそ、自分がゲイであるという事実です。
しかし、随分遅れてしまったのだけれど、マスコミの力で知りえた情報によって、
本来の自分に相応しく、少しも無理などない場所に足を踏み入れ、
誘われるままに行為を受け入れた後、皮肉にも自分を解放出来てしまったのです。
もう一人の自分を伸び伸びと、通常の世界から独立させ得たのです。
そしてやがて、間違いなく自分はこのために生まれてきたのだという仕事に巡り合いました。
ですから、人にも声を大きくして言うのです。
自分に相応しい歩み方をすれば、自分の道に辿り着く可能性があるのだと。
しかし、誰しもが専門性を持って生れ出ているわけではないのですから、
迷子の道を繰り返すばかりというのも無理はないのです。
迷子の道なのだから、誤らない人がどこにいるでしょうか。
ゲイの結婚もその一つに過ぎないでしょう。
告白すれば、一種の嫉妬で失礼な皮肉を重ねた自分なのだし、
こんなことを言えたものではないのですが、
せめて人と接する時、ましてや相談に応える時、
所詮皆迷子なのだということを思いやれる人間でいたいと思うのです。
いて欲しいと願うのです。
泳いで渡った小島の裏側には長い砂浜があるのですが、
その端に、屈んでやっと入れる入口のある岩場があるのです。
入ってみれば、中は人が二人寝そべる事の出来る空洞になっていて、
その天井に開く穴から入りこんだ光が、まるでフィルターを掛けたスポットライトのように、
横たわれるその場所を薄明るく照らしているのです。
サンゴ礁を見下ろす、いつでも風が渡るウタキの森も、その洞窟も、
島の人すら知りません。
ああ、憧憬の人。
叶いもしない、またおよそ相応しくもない自分を共に横たえる幻影に、
どうか寛大であって下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=TBlpNO0aAL0
夜光虫 タチアーナの如く (2013/05/19 Sun 01:26:54) pc *.162.100.70
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