
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
鏡に映る自分は見慣れた自分。
しかし、写真に写る自分は違う人のようでもあり、声に至っては呪わしく
自分の内耳の音と違う録音声ということを誰もが経験していることです。
それほど、他者の観た自分と、自己の思い込んでいる自分像とは違う。
そして、その違いの中に、まだ見ぬ思い込み(の生活)に賭けて、
女性という伴侶をもってしまう人も居たでしょう。
昔なら多かったとか、そういうことは関係ありません。
今の情報化の中では自己の性を認めざるを得ないとしても、それでも我が
道を、自分以外の誰かのことまで有って、
できるような錯覚とできた事実で、進む人も居るには居るのです。
取り残されていたたまれない焦燥で自分の知らない自分の男性像に賭けて
その選択をする者が居る。
そして、マンネリ化する生活の中で、本来の自分を改めて強く意識せざる
を得ないこともあるかもしれない。
ともあれ、既婚者のゲイが居たとして、何も全員が卑怯ではないのです。
男性しか愛せない者はそういう人を選ばなければいいだけのことなのです。
その御仁が人間(の態度や応対)としてどうか、それが問題ということに
なりましょう。
かの人がそれほどの・いくばくかの苦悩を経て今に辿り着いたとしたら、
その道にふさわしい愛の実現が有って欲しいと願わずにはおれません。
深く目を射るあの色はすぐには絵にも描けない光の飛沫(しぶき)です。
あたくしが知る由もないその洞窟はきっと何かの聖地なのでしょう。
何かとは何か、それは同じ夢を追える赤い絲で結ばれた人の誓いの聖地な
のかもしれません。
世の中にそっくりな人は三人居るという。
世の中に同じ感性の人は二人居るという。
世の中に自分が映る人は一人居るらしい。
今手を差し伸べる自分が映る人こそが自分の愛を叶えてくれる人なのです。
オネーギンが如くその人を逃してはならないのが、とこしえの絆を得る掟
なのかもしれません。
http://youtu.be/-FAiFtFgxJQ
真理之丞聖ゐ絲 (2013/05/19 Sun 05:54:59) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 0人 (携帯からのみ評価可)