
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたっ、
関心は自然と湧きあがるべきではあるけれど、
つくって行動してみて、やっと生まれるものでもあるのです。
無理には必要ないことですが、お決まりの老夫婦生活もどきのコースに
メリハリや弾みをつけるには、
相互の様子は観ながらも、提案ということは出してみるべきでしょう。
あなたが考えている以上に世の中は新鮮で未知だからけの世界なのです。
これは世界なら尚更だけど、日本のどこかの街だけでも言えること。
何かに触れて、行動して、そこから自分の精神世界を意識していく。
その結果、やはり何かが違う、これは欲しいものではなかった、と、
その場合は、それが判ること自体も人生の針路になるというものです。
あなたの関心を彼にも話して感覚や感情を共有することは恋そのもので
ある訳で、何も相手に期待も要求もなく、会えばそっぽを向いてゲーム
やマンガで時間が過ぎ、エッチをしてバイバイなど、それだけで終わる
のであれば、それは準セクフレの時間であって、恋愛とは言いません。
(ごはんを作って会話する週末は在ってもいいものです。しかし、それ
だけで終わる再会でないようにすることもいずれ大事なのです。)
そもそも、暇しているということは人生では意識的に語ることではあり
ません。すべきこと、成すべきことは山ほど在るのであって、暇という
言葉は「寸暇」とは書いて言っても、また暇だ、ということで意識的に
感じることは何かが間違っているのです。
罪ではないし、誰しも自分の余暇は自由だけれど、
暇を埋めるだけの恋愛を探れば、暇にふさわしい愛しかやっても来ない。
ただし、忙しい中の恋愛をしろ、という意味ではありません。
人間に生まれた以上は、創造や体験をもつべきであり、生き甲斐という
ことを、恋愛以外でも感じて歩むべきということです。
そのかわり、行動すれば支出は増える。
しかし、支出のぶん、あなたと彼の思い出の絆は今の不安を返上させて
堅くなる。その積み重ねこそが恋愛なのです。
自分をもっと知って欲しいという思いをあなたは持たねばいけません。
そして、自分のこと以上に彼のことを訊いてみることは年の差が有っても
失礼ではないのです。訊きもせず、知りたくもない人と下半身だけの捌け
口に逢うのは「手近エッチ兄さん」だけであり、あなたの人生の1ページ
にはなりようもない人です。同じことが彼にも言える。
あなたは「知ろうという欲求」が稀薄で、「遠慮という美談」で自分の
未熟に鈍感で怠慢です。
誰かがあなたの人生を肉付けしてくれるのを待っていても何も起こらない。
恋愛以前に、自分の道というものをもう少し考えてみてください。
真理之丞消極罪 (2013/05/20 Mon 01:50:01) pc *.198.54.171
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