
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
私がもし女性を抱けたのなら、恐らく周囲の目を恐れて20代の後半辺りで結婚していたでしょう。
ただ、体も思いも結婚という許可証で露骨にしなだれ掛かって来られるなり、直ぐあからさまな嫌悪に変わったでしょうから、
間違いなく1年もせず離婚していたと思います。
社会に身を置かざるを得なくなってからのゲイの多くは、その本性故に身を隠すための結婚が出来たならと、
殊更若い時代にこそ切実考えた事があるのではないかと思うのです。
たとえ稚拙な思い込みと、世間知らずな一人相撲の貧弱さを要因としようが、
結婚という選択をゲイである事に苦しんだゲイの誰が咎められるのかという事です。
少なくとも僕は既婚者に、自分が望んでも出来ない事が出来た男という、憧れめいたものすら未だにあるのです。
生々しい話で恐縮ですが、既婚者とのセックスで、互いにその最後を受けた瞬間、
『ああ、この人はこれで子供を作ったんだ。』と思ったりもしたのです。
無い物ねだりの美化は見苦しいけれど、それ程切羽詰まったとも言えるのです。
そう告白しながらも、僕は子供を持ちたくはないのです。決してです。
自分の血を直接に引く存在などゾッとするのです。
自己否定…そう、録音された声を聞いた瞬間の青ざめた事!
私は、あなたが語りかける“あなた”が“私”のことなのか確証を得られないまま、
不安に言葉を重ねているのです。
仰る通り自分の知る自分と、他者が見る自分とには大きな隔たりがあるものです。
自分では“世間に間借りしているような暮らし”と思っていても、
他者…とりわけ女性から見たら“肩で風を切っていた”とさえ見えてしまうのです。
虚勢など救いになりはしない…その通りです。
だからこそ、見届けては来たが、見届けられては来なかったというような人こそに、
僕は自分を棚に上げて諭すでしょう。
他者(ひと)が見る自分をもっと誇ってもいいのではないかと。
決して自分を否定などなさるなと。
時にはそれに乗じて、してはいけないと信じて疑わない事をしてみたら良いと。
迷子も謳歌すればそれなりに楽しいのだと。
自分による自分の管理は、過ぎれば自分を追い詰めるのだと。
そして、世間の人間は、あなたの助言に相応しいほど真摯に生きてはいないと。
今や暁は早く、空が白むのも突然の事です。
何故あなたはそんな暁を幾度もご覧になるのでしょう。
ならば私はこの曲を贈りましょう。
幾たびも歌ったこの曲を憧憬の人に贈ることになろうとは。
声を失った今であろうとあなたの耳に宛てたなら、
高らかに、過去の声も鳴り渡るでしょうから。
http://www.youtube.com/watch?v=Ilju4tuhkUA
夜光虫 聞啼鳥 (2013/05/24 Fri 18:37:28) pc *.162.100.70
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