
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
既婚といったことろで、出会った人がそうだったというだけ。
既婚故に特別な感情が伴ったわけではないのです。
関東の人間である僕の周囲にはそうした存在が無かった事もあり、現実味のない世界でしたが、
僕はどんなにきれいごとを言っていても、例えば被差別部落の人と出会ったなら、
きっと偏見の目を持つ人間だろうと自分を思っていました。
ある時知り合った人が、僕が旅先から贈り物をするから住所を教えてというと、
突然考え込んだようになって、しばらくして意を決するように、自分は被差別部落の出身者だと言ったのです。
その地域だと、住所を見ただけでその出身だと分かってしまうのだそうで、
彼は住所を知らせる事によって、僕がそれを知るだろうと瞬時に恐れたのです。
もちろん僕は、住所を知ろうがそんなことを分かるはずもないのですが、
それと聞かされた時、僕は自分でも不思議なほどそれがどうしたの?という感覚でいたのに驚きました。
既婚であると言うことも僕にとっては同じようなものなのです。
何度もここの相談で書いているのですが、ゲイが社会的に異端であろうが、
それでいながら既婚であるということが、あたかも蝙蝠のような見方をされようが、
人と人との交流が、日常の延長上なければならない必要などないということです。
ゲイの交流にとどまらず、あらゆる交流は一個と一個の独立した世界であって然るべきだということなのです。
ゲイでありながら既婚者でもあった人の場合には、ゲイ故に為し得ない範疇を
出来てしまった人という、性的な特別の差が魅力にも敵対心にもなるのでしょうが、
僕には、僕と接触した人達の一人という共通があるだけなのです。
それぞれに、どれほどの強さの愛着があるのかという違いなど、
恋人であれ、知人であれ、友人であれ、そこに変わりなどないのです。
既婚者であっても、当人たちが一緒にいる間は、その人が家庭を持っていようが子供がいようが、
それはあくまでもその方のプライベートというだけのこと。
人と人との交流は、友情であれ、愛情が生まれる交流であれ、
基本的には当人同士の価値観による世界を共有出来れは良いのです。
二人でいる時間には、それぞれが抱えた事情を互いに思い遣りこそすれ、
日常に左右される事など必要などないとしか思えないのです。
だから日常と混同するな、させるなという前提を死守すべきだと言うのです。
あたかも洞窟に二人でいて誰にも邪魔されない時間と空間を維持出来る、
そうした関係が成立すれば良いだけのことです。
あなた。
かつて僕は洞窟に閉じこもって、外に出ることに怯えてきた人間なのです。
だから、自分が太刀打ちできないとした存在には今も怯えてしまうのです。
詩まがいの恋文を贈ろうと、バルトの夏に暁は無い事も知らず、
所詮知識を欠いた張りぼての夢想を言い当てられてしまいます。
それでも、それであっても、
この憧憬だけは疑わないで下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=4SMXRilJfJ4&list=PLC698AAC4D0849A31
夜光虫 (2013/05/28 Tue 03:09:34) pc *.162.100.70
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