
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたにはこう思って欲しいということがあるので書きます。
まず、その病気と制度のことでは、
どういう口の悪さも封じることはできないかもしれないし、言う(放言)
は(どう腹が立とうが他人:ひとの)自由、ということとしてもいい、
何の事由有ってそんなことを快気の席でたまうのか、という
その人の陰険度をあなたは疑問視して、その御仁斬りの判断軸となさい。
そして、そういう人間はどうせ、どこかで(嫌われて)干されたり、
何か不遇の目に遭って行くものなので、
あなたはできるだけ流して忘れるに足るまでのこととしなさい。
気分を害されるのはそれに拘るまでに、同次元だから、ということもあり、
受け手の心の持ちようにも拠っているのです。
放たれた言葉は人々の耳から消えません。もう消せないことは拘るも毒。
そして、どこかで、その席で善良な顔を装った仲間たちも、あなたの短い
とも言えないその期間の療養を揶揄した者が複数居たかもしれません。
人間の本心と口というものは、そういうものです。
だから、決してその嫌味人間だけのこととも限らないのです。
頑張って働く者の汗の時間に、呑気に映ることは人間の自然な心の弱さで
もあるのです。
その意味では、その御仁は、すこぶる正直だったのかもしれません。
もちろん、はしたなく・浅ましいまでの男であることに変わりはありません
が、世の中はそういうものなのだ、ということで、
あなたはそうした目や口や心を、どう超えて行けるものか、
それを自分に問うことこそが、あなたの今後の道なのです。
その人は、笑いを取って一目を置かれたい心理でそれを発したのであろうと
察するのです。どんな場でも、自分が秀でて、小気味いい自分を浴びせる
ことで鬱憤を晴らそうとする醜い人間が多い。要はお門違いということです。
あなたに責め苦を言いたいのではなく、自己顕示欲の成した槍。
あたくしの最後の疑問は、それが発せられた時、周囲の皆はどうしていた
かのか!ということです。同じように笑ったし、あなたも苦笑いで誤魔化し
たのではなかったか!ということです。
怒るのは場を台無しにするものですが、実は、あなたがこれからの人生で
採るべき道は、抵抗という下手な見苦しさではなく、
その相手を互角に遣り込めるまでの「その場での応酬」「威圧」なのです。
忌々しきには、その場での対応が命になります。
黙っていたり、復唱される「やんわりの美学」の時代は終わりつつある。
この手法は、正論の反論ではなく、その人の弁にあやかって、肯定するかの
ようにして(いろいろ考えられて、または機会を得て~)まさかの恩恵に
浴して本当に助かった、今後は自分がそんな人を気遣える、ためになれる人
になろうと思っていやす~とでも、おどけて、しかし、相手が二の句を
つけられない一矢をグサリと刺せるあなたにならねばいけません。或いは、
あんたも病気にならんように祈っとるぜよ~とでも向けて、場を終わらす
までに気勢を他の話題に転換させるまであらねばいけません。
やんわりはしょせん効かない薬。地団駄は後の祭り。
すかさず相手を変化球で往なすあなたたれ。荒波を渡るとはそういうこと、
世間を知ると共に、それがあなたの悔しさの今回の教訓というものなのです。
真理之丞一矢斬 (2013/08/03 Sat 18:30:28) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 1人 (携帯からのみ評価可)