
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、
職場とはそういうものなのです。
みなさんも的確におっしゃっていますが、多かれ少なかれ誰もそういう目に
遭っていることを一番先に胸に置かれなさい。
あなただけがその苦痛や苦慮を重ねているのではなく、道行く笑っている
老若男女も、意気揚々と活気で闊歩している人にすら、どこかでそういう
事態は身近なことなのです。
もちろん、加害者で闊歩している人も多く含まれる。
だから自分だけの苦労とは思わないことで勇気を得る必要はある。
打ちひしがれることはあなたへの云われなき冒涜に屈してすごすご退散する
ことと同じなのです。
あなた、言葉通りいかないのは百も承知しています。
しかし、あなたは跳ね返して歩まねばならない。それが勤務人生なのです。
あたくしが思うには、
イジメ根性は最終的に負ける。
徒党で誰かを貶める人は自滅する。
それには時間が要されるために、その期間の忍耐が誰もの勝負どころになる
という予測なのです。あなたは耐えられるでしょうか。
だからあなたにさしずめ非が無いのであれば、実は黙ってサラリと交わして
いけば相手が自滅するのは時間の問題になるのですが、
あなたはどういうバツの悪さも顔には出さず、正々堂々と事務的には渡り
合う姿勢はどうしても必要です。
憎しみとして30倍返しを目論むようなあざとさで進むのは間違いです。相手
が明らかに不正の限りの場合は話は違う。
しかし、多くの勤務場のシーンでは苛める人たちも善意や正当性や、欲望で
前進していることが多く、彼らもまた正論の場合もあることが多い。
そこに、ちょっとした誤解や意思の疎通で違和感を持たれるところから折り
合いの齟齬というもは生まれるものなのです。
しかし、どういう分析眼よりも、起こってしまったことは静観し、原因を
みつめつつも、ともかく黙っている方が日本では良いことが多いのも事実
なのであり、騒ぐということは同じ孔の貉であったり、同じ器量とされて
しまう。何も悪くない必然や自然でのそういう感情の操作は、耐えること
が先ず先に課されて身の為になることが多い。
そういう人なのだと解かったことでよしとする。その人(たち)を変える
などできません。
あなたはどういう無念や歯軋りが合っても、それは伏せて笑顔で普通で居る
ようになさい。そして、ここがあなたへの一番重要なことですが、
理不尽は感情ではなく理詰めでその場で手短に切り返すことは要るのです。
黙って耐えるという上記とこれは確実に違う。
そこでまで黙ることは人柄や器量の良さでは済むことではなく、相手を増長
させて勘違いさせる道になって行くからです。
上の人に訴えるのではなく、自分の困惑や忍耐として訴えることも、その
結果どう現場で軋轢があってもしなければいけない勇気かもしれません。
そして、(そういう場合でも)全体を見据えてモノを語るようになさい。
その人の思う壺の意地悪を続行させないだけの声は上げなければいけない。
その場その時に、です。
そして、もう忘れたかのように堂々と元に戻る。
こういう真の勇気はその人の誠実として受け留められていく。
だから、真に勝つということは、譲りながらも自分の姿と声に恥じない、と
いうことなのです。
あなたにもどこかに潜んでいる応じ方の未熟は反省し、その上で、個人感情
がこの人には向けられない、という賢明さで堂々と在ること。
これがあなたの難局を打開するあなたの姿勢となりましょう。
http://youtu.be/udkr3iFYIes
真理之丞あなた (2013/09/15 Sun 01:11:42) pc *.198.54.171
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