
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
親もまた未熟な一人の人間なのです。
そして、子どもと共に育って行く、それが世の中の大勢の場合かもしれま
せん。しかし、あなたという命を生み落としたご両親は、
あなたがどういう粗悪や情けなさで(過去がそうで)あったとしても、
それでもあなたをどこかで感じ続け、愛しているというのがたぶん本当の
筈です。
愛というのは、何も手近によしよしと何くれとなく面倒を見ることだけを
指すのではありません。離れていても思い出す、それが愛というものです。
実際、口を開けば、いざ会えば口論になる、嫌な気持ちでまた別れること
があったとしても、また離れて時間を経るとあなたを想い出す、それこそ
が血の絆であり、血の愛というものなのです。
先ず、
あなたがそれが良かれと思ってそのまま疎遠であることは
確実に「愛」には足らない・報いない素行であると認識なさい。
それは意思次第であなたの自由だけど、双方がそれで穏便・円満の様子で
あったとしても、それは感謝でも愛でもない
「何も無さないというわだかまりの放置」というものでしかありません。
そして、次に思うことは、
親は年老いて行き、命は尽きるのです。
その心に、胸に、産み落としたあなたの幸せの姿を刻め知らずに心配の夜
のまま逝かせてしまうことはあなたが何がしか子供時代にだけでさえも
受けた恩に感謝も届けず背を向けて放置のままにするということなのです。
あなたは自分をどう貶されてもいいではないですか。
自分が今は幸せでこれで良いと思え、できる限りの歩み方をしていると
そのままに示す、云う、それにどうチャチャが入り誹謗され・哂われたと
しても、もう大人のあなたは自分の選択を許される存在なのです。
あなたは自らに恥じずに、今の親の顔と口と言葉に向き合えばそれでいい。
その結果、何も変わらない両親なのであったとしても、
それは両親がそういう人生であったまでで、そうとしか思えない人の域を
出ない事実として、それを認めるあなたであればいいことなのです。
ただ、あなたは自分が今居る根源が両親に有ることに、感謝はもうしても
善いのです。そのために、返答を書き、決心もつけば会いに行く。
自分がどうされるか、それ次第で後悔するという懸念より、自分が今在る
感謝を届け、その気持ちを告げる勇気を持とうとしなければいけません。
あなた、心配をかけない雲隠れはあなたを生んだ人にはそれで罷り通ること
は無いのです。あなたが届け、あなたが会いに行く、あなたが揺らがない
姿を見せて届ける。その覚悟を持ちなさい。
貴方が今生きていること自体が既にご両親には親孝行なのだけど、生きて
いるその鼓動を見せない限り、親の何がしか悲しみは癒えないのです。
自分だけがそれでいいことより、自分が居る原点に感謝する。
その年賀状は、なあたが両親を超えたことを見せるための、一歩踏み出す
天からの招待状と思いましょう。
真理之丞あなた (2014/01/03 Fri 00:11:50) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 6人 (携帯からのみ評価可)