
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、
あたくし熊系とか、なんとかかんとか、そういうこと
思ったことも考えたことも一度もありませんの。
もちろん、毛むくじゃら男はどうやったらこんな毛が、と、恐ろしい気が
しますが、それでも、好きはひとそれぞれ。
そしてどういう人を好きになるかも、その人の全体像や気質のようなものまで
含まれて、結果的に好きになる、というのが恋愛の五里霧中の醍醐味かとも
思うのです。
ですので、あなたのようにタイプがどうの、ましてや自分はどのジャンル
などと区分けしてそこに収めてだけ考えるような在り方は、
結局、何かが違う、ということにどう自分を合わせたり、収拾をつけたり、
納得させていけるか、人間はみな違う、ということに自分が合わせるべきと
いうこともどこかで考えねばならない恋愛ということで、
一番不適切な志向(思考)なのだ、と、あたくしは思うのです。
判り易い書き方のために「例えば」と云う意味で書くのであればまだしも、
思い込みというものは自分を縛って視野を狭くするし、行動も躊躇させるよう
になりがちなことです。
生理的に嫌悪する、という場合を除いては、
相手を柔軟に解ろうとしない心は、最初から最後まで自分の判断だけが正しく、
それみたことかやっぱりね、と狭量な理由付けで自分の正当化をはかること
にしかならないのです。
そして、心で恋愛もセックスもできる、という踏み込んだ恋愛をしていない
人間の陥る罠かもしれません。自分の欲情のみで固めて自分を縛ることに
馴れたエクスタシーオナニーの常習的弊害とも言えるかもしれません。
その意味では言葉の綾ですが「誰専」という人たちは心が素直なことが多い
かもしれません。結局自分が好きな自己愛が満たされるという意味でのこの
言葉の意味ではなく、
取り敢えず相手を観てみる、知る、感じる、それに対して素直であるという
意味で恋愛体質ともいえるでしょう。
自分の欲望を捌けさせるためだけの人形(あなたの熊理想)が欲しいのか、
生身の人間の心が大事なのか、性は愛の上でも実現されることを学ぶ必要が
ありあそうです。ここでも「男は刹那の出す欲望の生き物だ」などとタイプ
化を諮ることは許しません。
自分より相手を思う基本形。それこそを第一に据えなさい。
真理之丞脳恋愛 (2014/05/23 Fri 01:37:41) pc *.198.54.171
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