
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
人間は勝手なもので、
何かを述べても満足しないこと(そんな人)も多いし、
かと言って、宥めるのを辞めて静観していても愛情が足りないとまで思うこと
もあります。あなたが慰めるのを辞めてどう解消されるものでしょうか。
というのは、
聞き役はいつでも疲れるし懐疑も湧くけれど、
物事の相談や嘆きは、実はそれで解消されることなどないことを本人がよく
知っているのです。慰め励ます人も、自分には決定的に何も力になれない非力
を知っているのです。
つまり、吐き出しこそが必要な訳で、涙と同じ、言葉で立腹や苦悩を吐き出す
その受け留めとしての役回りだけで十分なのだ、ということが真実なのです。
尤も、
相談された聞き役が義憤で乗り込んで騒ぎ立てるまでの代行人であることも
あるでしょうがそれは稀。殆んどは相談者の迷惑ににしかなりません。
聞き役、受け留め訳の同情と身代わり怒りの正義反応だけが欲しいということ
なのです。そして、それで十分なのです。
ですので、
あなたは静観は実は間違っていて、
相談彼の苦心の身代わり吐露を頷いて掛け合わせるように話す、
それが見守り受け留め愛の恋人ということなのです。
静かな無言の誠実は彼には物足りなかったことはどこかで有った筈です。
だから彼は貝になり、あなたには愛想をつかした、悲観でワガママを行くこと
になったのです。
あなたは必要以上に心配する必要はありません。
待ちなさい。見定めなさい。
それで相手が拗ねているかのように逃げるのであれば、そういう苦難に負ける
彼はあなたにはそぐいません。仕方ないと思いなさい。
あたくしはその彼は甘えていると判断すると同時に、無責任と思います。
誰だって相応の苦心をするし、艱難辛苦は訪れる。それが人生です。
自分だけが悲劇の御姫様だと思う弱さは愛情を注ぐ相手としては不適格なのだ
と思います。これは無慈悲ではありません。
苦しみの当事者になる時、自分を超える試練を超える忍耐が求められ、その時にこそ向き合ってくれたことを感謝して愛を再確認しなければならないのです。
芯の強い人間であれば、なおさら心配無用です。
もしも富士の樹海にでも分け入って行ったのであれば、あなたの愛を棄てたも
同然の無神経ということです。あなたの許に帰ることがあなたへの愛の示し。
優しさは価値はありません。
本当に価値があるのは自分の弱さに添ってくれる人への感謝を試練に耐えて
向ける人。
心配は杞憂と思います。彼を愛しているのであれば、あなたは怒る必要がある。
http://youtu.be/3R45gjKSkIc
真理之丞あなた (2014/10/01 Wed 20:23:28) pc *.198.54.171
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