
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
卑近な話で恐縮だが、当然ノンケにせよ、ウチの親父なんかからは
小中学生でもない、いっぱしの男は、三日にあけず親友と会うような日常を送ってはいないんだと
その生きざまから、教えられている気がしている。
顔をあわせる頻度や共に過ごした時間の長さは、必ずしも密度を伴うとは限らない。
一年に一遍、酒を酌み交わすだけの相手が、親友の可能性はある。
無論、男性同性愛者同士の人間関係となると、違う面も多々ある。
僕は、ゲイである相手が、自分とは、いついかなる状況においてもセックスをしたくない、できない、勃たないと感じているとしたら
オスとしての自分を否定されたようで、友達や人間として評価されても、厭だね。
弱まりつつあるが、未だに、そういう感覚は残っている。
それは、虚栄心に根ざした感情なのかもしれないし、湾曲した自己愛、あるいは未熟な精神の証憑なのだろう。
要は意地汚いだけ。
しかし、自身のゲイの友人を思い浮かべると、十年以上、交流している、していた相手の七割とは、実際に最初期に数回は寝ている。
時代もある。病気の影はまだ薄かった。
今はそんな生き方を、経験の浅そうな君には勧められない。
二、三度寝た後、あるいは寝ていなくとも、相手との間柄を単なる友人関係に留めようとしたのに
例えば、酔ったふりをして、タンクトップの縁から手を滑り込ませてきたり
かがんだ際に短パンの隙間から指を入れてきたりされるのは、誰もが経験しているだろう。
ゲイシーンに存在する泥臭い人間関係には、そんな過程も含まれる。
そこを経て、なしのつぶてになる場合もあるし、友情が芽生えることもあるんだよ。
そして、女性性の強いゲイが、対決よりも調和を好み、別離を怖れ、柔らかな人間関係を継続させることで
自身の幸せを感じたいという欲求は、理解できなくはないにしろ
いざとなれば、独りでも生きていける人間同士が育むのが、大人の友情。
ゲイの友人を作るのは、年齢、容姿、理知、生活力に拘らないのであれば、難しくない。
明らかに自分より人気のなさそうな人物、ひとまわり以上は年嵩の男を見つけて
どなたかも書かれているが、セックスの誘いは断り続ければいい。
たぶん、それでも、会い続けてくれるだろう。
地味ながら、根は良識ある真っ当な人々は幾らでもいる。
君がそれで構わないとすればね。
ただし、類友の法則は、西洋とは異なりクラス分けが顕著でない日本においても、現実味を帯びてきた。
悪人ではないが、仄聞に触発された想念ばかり語りたがり、魅力ある具体や体験に欠ける人間は
ゲイの世界でも、避けられだした。
それでも、気のおけない友達に巡り逢う機会は、君には、まだこれからもあると考えます。
scruples (2015/03/28 Sat 00:27:46) pc *.250.243.4
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