
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
デアァーのあなたっっっ!!””
あなたは青林檎。まだまだ青く酸っぱい梅の実の如し。ご妙齢でも青林檎。
甘く成るには心の時空の修行が必要です。
そう、心とは目に見えない宝物。
あなたは字面が全てと挑発の愛を書いて下さったけれども、
それは違うのです。
目に見えるだけの文字はすべてではありません。
どうして、その不埒や誹謗や罵り、いえいえ、嫌味を排斥を書いたか、
それには愛を請う心の願いが潜んで居るのです。
あたくしは文字の後ろのカーテンの後ろの絨毯の下を読みますの。
それは勝手な空想と紙一重なのだけれども、
その文字の裏側と奥の向こうに、
何故それをそう書いたのか、真意は別にあるし、本気で文字通り思って書いた
のであっても、そう思う背景にはその人の過程の傷や愛が潜んで居るのです。
なぜその人はそう書くのか、
それを思ってみる時間は決して損なことではありません。
会社であれ、仲間内であれ、
誰彼の心を読もうとして世間は渡れるものなのです。
そしてその読んでみて許すことのできる寛容に愛は宿るし靡くのです。
いいえ、これは偽善ではなく、本当のこと。
その人がどうしてそう粗悪を書くのか、それにも理由があるし、
何がしか哀しみは帯びているのです。
ひねくれたという判断はその人の上辺しか見ていない。
その人の心は考えていない。
そして、それ以前に、優しさだけで済むものでもない訳で、何か違うその唱え
を真っ先に書いて高みを演じる人も居るのにも眼を開かされる意味がある。
文字を文字だけで読むのは書物の世界。ネットの文字は心の声の現身という
ことなのです。
だから、誰もが優しさに満ちている真実が多いものであって、
言葉合戦や皮肉誹謗を向けても意味はありません。
だって、誰もが本当は愛を欲しいし、向けたい道に出たいのです。
そして、何か悲しかった道に遭った者ほど、言葉の刀を持って書いたり、
反対に笑いやふざけのペーソスを醸し出す。
本当の愛はそういう人々を黙って強く抱きしめることなのです。
っと、理想かもしれませんが、
あたくしは皆さんが大好き。嫌いで嫌な人が居ないのもあたくしの勝手で
おゆるしなさい。
わかった? あなたっっっ。
https://youtu.be/so6ExplQlaY
真理之丞吝か愛 (2015/07/04 Sat 03:29:54) pc *.198.54.171
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