
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あたくし、
特に好きな人は居ましたが、今は不思議と全員が好きなのです。
なぜなのかしらっ。
全員みんな嫌い、という悩みは(日常でも)すぐに陥り易い感情です。
好きというのはあたくしにも難しかった、
そして、実際は嫌いが生じるかもしれないものの、引き離して距離をおいて
あらら、あなたたち、っと見ていると
どう言う人も何がしかあってそれを抱いてここを覗いて、
また自分を思い直して自分に戻って生きていることは確かでしょう。
そういう空想で思う時、
悲しさや痛ましさもあるかもしれませんが、
それでもゲイとしてみんな進んでいるのだなと思うのです。
誰かの文字面で何か気に障る、冒涜された、しねなんて言われた、
しかし、広い意味で、それは演じて書いている人への投げ言葉の遊びなので
あって、本気に解する必要もありません。
あたくしだって、生身のあたくしはこんなまどろっこしい浮世離したあたくし
などではないのですよ。ふふふふ。
好感度グ~(あらふるいっ)なんて朝飯前に演じることができますの。
でも、ここに書いているあたくしがあたくしを悦ばせて鎮めるのです。
あたくしはあたくしのために書いていることは遠く昔に述べたのに、みんな
フンっと足蹴にするのもかわいらしいことです。
願わくば、また本気の相談で本気の智慧の限りが書き連ねられると
どんなによろしいことでしょうか。
本気の相談には本気は返ってくるものです。
そこでまで遊びでいたずらを放つものは、
本気の周りを飛ぶ蝶々とでもしておきましょう。
ゲイがひねくれた人の多いと感じるならば、
賢者が多いのであって、感性が優れているのであって、
心が優しいことの結果の傷の上の強さの内面性の(ある種の)発露なのです。
優しさで倒れない強さであたくしたちは進まなければなりません。
だから、その弱さの上の強さが出てしまう回答者の奮い立ちということでも
あるのです。それに目くじらを立てる必要なんかありませんの。
それからね、
弱弱しい女子のそぶりやいでたちを好きな女子像を望んでいる人たちもいる
ことでしょう。生粋の性同一性の人はまた違うものだけれど、
男性でそういう願望者の人も、愛されたい愛の枯渇の変拍子の出現という訳
なのです。強さに疲れる束の間の倒錯と浮遊。
そういう人もがんばりなさい。あなたたちの優しさをまた強さで包んで生き
ていきましょう。
あら、あたくしはそういう人ではないのであしからず。
したがって、表面しか見ない己の目の浅はかさで悲観する必要はありません。
解決法は、その人の心を読むことで許せる自分を見つけることなのです。
イ・ターク。
カ~ク・ダラゴ~~イ・アリョーシャ”
スパシーバ・ザ・アトヴェーット”
オッ・ドゥシィイ~・ブタガダリュゥ・ティビャ~!
リュブリュ~。クレ~プカ・ジュムゥ・トゥヴァユ~・ルク~”
ツェル~ユ.(ぶちゅっ)
真理
https://youtu.be/EMhtKM5ZSWE
真理之丞蓋し愛 (2015/07/05 Sun 01:15:41) pc *.198.54.171
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