
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あたくしがお応えしましょう。
あのね、
あなた、
あなたはそれでよろしい。
孤高と云えば英雄のように響きますが、
実は孤独とも言い換えることができるのです。
そして、その孤高に孤愁の寂しさは付いて回るものなのです。
その寂しさに負けないで進む清廉や潔さが美しいとされる。
しかし、実際は、寂しさは心を萎えさせるものですね。
でも、悲しみや悲しみの涙、ここでは寂しさをそう形容して例えて言います
けれど、そういう寂しさを感じることが、
本当に欲しい人としての美しさや誠実を却って身に沁みさせるものなのです。
独りの心模様を感じたものだけが、他者の真の誠実や思い遣りや勇気を
知り得る資格が備わるのです。
この意味で、あなたは自分を誤魔化していない強さを進んでいる。
ですので、それで善いのです。
ただし、あなたの他人嫌い(ひとぎらい)のことは、間違いが一つある。
それは、他人他者への軽薄な噂や誹謗や自己本位な悩みとして誰かをあげ
つらうことと、正義をきちんと話し合う、または話せることとは完全に次元
を異にしていて、
すべてを厄介なので、踏み込まれるので、
それで黙っているだけの逃げる逃避で誤魔化すことと、
述べるべきは語るべきということと同一視しててはならない、ということ
なのです。あなたは意志は持たねばならない。
その意志を無暗にばら撒く必要はないけれど、違うことや正義に離れたこと
には自分の孤高を下げて陳べる勇気も必要性も要って・在る、ということを
思い直しなさい。
それこそを饒舌でなくてもういい、話せるような彼を得て、友を得て、
その思いを自分も吐き出せる信頼を持つことで、孤愁の諦めのような寂しさ
は解消されるのです。
自分が無難で居たいということと、モノをきちんと表明できる、ということ
は完全に違うのです。あなたは逃げて隠れたい無難を選んでいる。
その無難には自らの勇気を示さないゆえに、
誰もあなたに迫りたいとは思わないのです。あなたを裸にして愛したい、
その連続を欲しいとは思わないのです。
また服を着て逃げて去る人があなた。それは実は冒頭の孤高ではなかったの
です。
あなたは心を見せる・正義の会話を厭わない勇気と気概を考えてみて下さい。
あなたの正義がもしも述べて間違いだったとしたら、その時にどう出られる
かこそが、あなたへの(他者からの)愛を育てることになります。
https://youtu.be/KmzFDEu2RoA
真理之丞厭世愛 (2015/07/22 Wed 04:06:07) pc *.198.54.171
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