
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
この話はあなたの性への罪悪感と淫靡に馴れた日陰の花への鈍感性が問題
なのです。つまり、あなたは悪いことと思い、今日も悪いことに走ったと
根底で思い、どうせ一期一会の機縁の道など無い、
来る日も来る日も惰性とあてどの無い性遊戯の誤魔化しで
罪悪感の石膏のような心になっている。
いや、そうじゃないと思うかもしれませんが、
それは故意に自分は平気だ、馴れている、どうってことないと自分に自分
を鼓舞するために嘘の説得を持っているだけに過ぎません。
一過性の恋も性も人生には在るでしょう。
しかし、その性遊戯の後の虚しさと孤独感はどう説明できるのでしょうか。
また今日もこれで済んだ、
明後日も行くかもしれない、いや、もう帰りの時点で今度を想定している
ことすらあるかもしれないのです。
本当の性の醍醐味や歓びは、真面目な中にも性は相互を喜ばせる人間の本能
本性として、それはそれで相手にサディスティックにもマゾ日スティック
にも自分をぶつけて、或る時はそうではないことでもよしとする。
彼の本能を蠱惑的にも承け入れたり、相手をその場で翻弄させる小悪魔も
できる演技性も素面の(しらふの)時にも恥じない平常心。
それでこそ、カップルの道なのです。
知るためには努力をしなければなりません。
喜怒哀楽を経ることに臆病と億劫であってはなりません。
その挙句にやっとできる自分の性実現。それが恋愛なのです。
今日もテキトーに捌けられた。でも、何も残っていない出したまでとその場
の詭弁でサラッと善人面でバイバイしただけのどこの誰とも知らぬ男。
どういう真面目の男性にも狂おしい夜も有れば、乱れてしまう夜もある。
日常性との較差はあなたの性への隠れた存在の密やかな罪悪心と自分を隠す
しかない努力の放棄ということを意味しているのです。
あなた、心通じた人を大事になさい。
その人にもある狂おしさを愛せられる、願わくば一夜限りの放蕩ではなく、
植物を育てようとするような道を持ちたいとする中に
エロスを組み込んで生きなさい。
あたくしの書いていることが解からない浩さんには、米国かオンタリオか、
飛んで行って説明しますわんこ。
あたくしのだいたいで書きたいことを書いているだけなので、深刻に読む
必要などありません。
あたくしはその場しのぎで鈍感になった一夜の恋を見直すことにあなたの
改善が馴れされるような気がするのです。むふ。
https://youtu.be/FZqlcaMlaA4
真理之丞あなた (2015/08/13 Thu 00:21:20) pc *.198.54.171
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