
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
いい年して・・・という気持ちは僕にも分かる。君の感じ方は正当な理由をもっている。年齢相応の、落ち着いた深みを求めたいのに、はしたないと感じる。でも、僕はこの正当性が実は真っ当であるがゆえに(もしかしたら君自身に対する)隠れ蓑になっている気がする。
多くの回答者が書いているように、嫌なら離れればいいだけのことなのだ。しかし、君は単に意識しない、単に他人事と片付けられない苦しさに自分自身を見つめ直してみる必要がある。
君の心の中に、もう過ぎ去ってしまった性の盛り、無分別な華やぎ、若さの季節に対する、消化不良な不満が、それでも、まだまだ性欲もあり、相手もたまには見つかり、しかも時には若い人からもお誘いもある中で、自分が過ぎこさねばならないのだ、手放していかなければいけないのだと思いながら振り返る、そんな苦しさから「汚らしい、汚らわしい」という目になってしまうのではないのかなと思う。しかも「年齢相応の振る舞い」と言えば、確かに間違ったことは言っていない。
しかしながら、このように自分を分析したところからが本当の問題となる。
この世界は、目の前に現れる現象に対して自分がどう振舞うのかを問われる試練の場なのだ。自分自身で考え、他人を見て考え、そして行動し、反省し、また振り返る。そうして人間性を磨いていかなければならない。
してみれば、そのように君の心に映る彼に対し、どう振舞うことが君自身が心を高めていくことになるのだろうか?ということが最も重要な問いとならねばなるまい。
たしなめるという事もあるだろう。そのときの君はどんな心で言うのだろうか?汚らしい彼を責めるつもりで言うのだろうか?それとも、その汚らしい、愚かな男もまた、幸せになるべき存在として、その幸せを願いながら語るのだろうか?
そもそも君が彼を見て「自分は年齢にふさわしい振る舞い、人格を身につけているといえるだろうか?」と自ら問うこともあるだろう。「まだまだ、自分も到底人のことを批判するほど立派ではない」と自らを戒めることもあるだろう。あるいは、「自分がこうして不満に思うのは性的に、愛情の面から、満たされていないからだ」と感じて自分の生き方を考え直すこともあるだろう。
人生において、どういう場面にあっても、自らが問われる。君は多くのコメントから「つまらない悩み、離れればいいだけ」と言われる、しかし、そういうつまらなさから逃げてはいけない。空の雲、道端の石ころからさえ宇宙の理は学ぶことができる。君の今回の感覚をおろそかに扱って通り過ぎてしまってはいけないと思う。君が「年齢相応に振舞うべき」と感じていることは正しいことなのだ。間違ってはいないのだ。堂々としてよいのだ。ようはその感覚を、もっともっと掘り下げ、自分を見直し、自分の心を高めることが求められているのだと思う。
Алексей
アレクセイ (2016/01/09 Sat 17:34:21) pc *.128.54.178 メールを送る
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