
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた
なりたいものや成したいこと、また達成したいことがハッキリしていて、
その用意をある程度できていて、土台が整っている場合に
努力は実行し続けられるのです。
言い換えると、努力の甲斐が現れる箱に入っていることが前提なのです。
反対に、何をしたいか曖昧や、漠然、具体的にどうとも思われていない
空想めいたことや、無いモノねだり、そしてどだい自分の現実を見据えて
いない高嶺の花を欲しい時には、努力なんかできないし、意味もないのです。
もちろん、日々の小さなこと、自分の心がけも努力という名前のものです。
しかし、あなたの述べているのは、実現と達成のことしょう?
そのことに向けて、努力が花開くような何かを準備しているのかどうか、
環境がそうなっているのかどうか、
イケメンと付き合いのなら、イケメンが振り向くあなたになるようになら
なければいけないし、そうでなくても光る何かを持たねばいけない。
それは目に見えるものでなくても、性格であってもいいわけです。
いくら努力としても報われないというヒステリーと憤懣は誰でも努力する
だけで事は叶うと勘違いしているわけで、努力の甲斐があるようにしなけれ
ばなりません。要するに努力のスタート地点にまでに
いわば前段階の努力や思慮や準備が要るのです。
努力が実を結ぶような道に持っていくことが必要なのです。
急にピアノを弾き出して鬼のようにそれを365日練習しても、そのトライ
は誰かを感動させられるけれど、音楽はおそらく万人の心に響かないで
感動されず、杜撰の未熟だけがクローズアップされるのです。
本当に他人を動かせる、酔わせることには至らない。
いわば、そのプロセスに満足させられるのか、結果が厳然と違うのか、そこ
を理解している必要があるのです。
あなたの努力は、悪足掻きではなかったか。
あなたの努力は、向う見ずではなかったか。
あなたの努力は、自己満足ではなかったか。
あなたの努力は、空回り損ではなかったか。
何をどう欲しい、何がどう自分ふさわしいのか、それを知るだけの英知が
要るというのがあたくしの意見ですが、これは差別主義ではありません。
満足の次元は人によって違うし、水準というのは、自己満足とは別次元で
歴然と誰の目にも明らかに在るものだからです。
自分の満足がどういうもの、どういう地点にあって、何をどうすれはそこに
近付くのかを解っている準備を先ずしなければなりません。
他人(ひと)は変えられません。だから自分が説ける人間になるか、相手に
合せるか、心を開いて意見交換するか、その中で、相手に期待しない達成を
持とうとすること、それが自己実現ということになるのです。
真理之丞瑕疵愛 (2016/12/13 Tue 21:24:05) pc *.198.54.171
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