
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
本気で愛するということは
破滅をも怖れない、ということなのです。
だから、世の中では本気で愛するということは滅多にはありません。
愛し愛されというのは、鋳型の中での節度が保たれた状態でのことが多く、
また、相手と程よい関係性で、決められた行動範囲を行くことが大抵です。
本当に愛するということは失うものが多いまでに彼を求めてなりふりかまわ
ないまでに自分を恥じないほどの勇気を求められる。
そういう愛のためには、自分の自己顕示欲も選民意識も、また劣等感ですら
抱いてはいけないのであって、だから、本能と衝動のまま行くことになる。
そして、涙を流すことも恥じずに向かわねばなりません。
彼に遠慮することは要らないまでに自分を訴えて、相手を求める。
そういう遠慮と恥の意識を拭い去ることが必要なのです。
そして、破滅の後には再生は自ずと生じる。
人を殺める鬼気は論外ですが、そういう本当の愛を経ていないことでは、
物足りない無味乾燥のまま時が過ぎてマンネリを行くことになる。
その中で悲哀を纏ってもそれは当然の成り行きなのです。
依存心の無い本当の愛のためには自分が心を開くことと、相手の迷惑にも
怖気づかない向う見ずさが要るのです。
そこに思いを馳せて、自他に臆病であることをいい加減に去りましょう。
そうした愛を経ない場合、自分の小さな楽しみで善しとなさい。
そして、自分が成さねばいけない死の準備をなさい。
その前に、血の繋がりで恥じないだけは言動が要る。逃げて隠れて親を看ず
に味わう悲哀は避けるべきなのです。
そして、自分の死の準備をして穏やかに笑える余生であればそれでもいいの
です。殊更自分の生き甲斐に拘る必要もありません。
ゲイであっても、そうでなくても生きる醍醐味も悲劇性も同じ。
子ども託すことを自分の中に生かそうとして、それで負える人生に花の色の
遜色は在りません。できることをするのでいい。
しかし、誰かを真に愛する破滅をも怖れないほどの熱意を再燃させても遅く
はありません。
あなた、全員が孤独なのです。そのことを知り誤魔化すことを辞めなさい。
https://youtu.be/7F0dY6WUnGM
真理之丞韜晦損 (2017/11/04 Sat 08:14:12) pc *.198.54.171
この回答が参考になった: 8人 (携帯からのみ評価可)