
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
恋愛ってそんなものかもしれません。
でも、あたくしは言う。
弱さの隙間を埋める親切による思慕は、自己愛の変形であると。
そして、それは、錯覚とも言えるほどあやふやなものであると。
傷を舐めあうことが愛に発展してもいい。
しかし、それはいずれ新たな傷への癒しを求める移り気を生みやすい。
今度また新たにぶつかれば、それをそこで新鮮に癒してくれる人にまた恋愛
感情を抱くことを生む。その可能性が非常に高い。
その人への一途と、こうした場合の弱り目祟り目への癒し錯覚の揺らぎとは
実は明らかに異質なものだというのがあたくしの主張なのです。
あなたは大変な自分への後輩の尽力を愛と混同している。
それが愛になりセックスもある、と言う恋愛にも移行するのは解っている
あたくしだけど、あたくしは恋愛は慰めではなく、
強くする鼓舞をできる、厳しいが愛に裏打ちされた諭しを持てる人への憧れから発生する、または眩しさから惹かれるものの方が真実に近いと思うので、
助けてくれて慰められた、救われた、ということで
(慕われたと解し)それを恋愛に思うような安易さには疑問を投げかける。
そういうことが無かっても、その後輩は性を呼び覚ます彼であったかどうか。
自分が好きな自己愛のようなナルシシズムの琴線に触れたことで、相手を
特別視して、ゲイの恋愛に陥りたいと望むようになり、それをできず、
生きる糧の仕事をも辛さで辞すというような甘えたあなたのその恋には残念
ながら賛同はできないあたくしなのです。
現実と理想は違うというかもしれませんが、
問題は、自分に捧げられる姿をハッキリと確認してから恋愛を思う自己本位
な傾向があなたにあることです。
相思相愛など至難の(確率の小さな)この世界で、
自分に敬愛を持ってくれる人を愛としてどこが悪いと言うかもしれません。
しかし、それは、偶然成された上での、弱さの誤魔化しなのであって、
あなたという人間の性愛に根差した引き寄せではない、というのがあたくし
の言いたいことなのです。
辞職は愚の骨頂。
その彼との作業を経て、自分が強くなることがあなたのゲイとしての使命で
あったのです。そして、勇気が彼でない次の愛を引き寄せることこそが、
彼への感謝ということにしなければならないと思うあたくし。
あなたが彼のミスを庇うのは好きだという思慕を通したいだけの誤魔化しの
上塗りでもあった気がします。
本当の愛とは、相手の窮地を手助けするような質のものではなく、相手の心
にまで下りて行き、むしろ突き放して、それでもそこに添おうとする姿勢の
中に芽生えるものだというのがあたくしの考えなのです。
自己の弱みに理解が注がれたことでそこに性を敷こうとするのは、あなたの
弱さの同時並行露見というものでしかありません。
よくよくご検討ください。
https://youtu.be/M8w9_0dMZ9w
真理之丞落魄愛 (2018/03/19 Mon 00:47:06) pc *.198.54.171
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