
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたの疑問・懐疑は自然で正しい。
しかし、あなたは迷いを脱しなければいけません。
この意味は、突き抜けて堂々と平気で居れ!などという気休めや奇異の目をもの
ともするな、というような意味ではなく、
それはそれでいい、という人生の覚悟にはまだ至っていないということです。
日常の大半をその会社の人間模様の中で過ごすのに、周囲と自分との内面差を
痛いほど感じるのはゲイの場合の自然です。
でも、だからこそ、割り切るということではなく、「覚悟が要る」ことになる。
割り切ると書きましたが、割り切ることと覚悟は違う。
割り切るというのは、その矛盾や違和感、憤りに目を瞑って誤魔化すことに近い
言葉(心根)であって、覚悟というのは、それを認め肯定してむしろ自分を讃え
大事に思う信じる道のことです。
極論を言えば、例え左遷の道に傾いても、それでいい・その中で考えて、自分を
不安に思う勿れ、というようなことなのです。
人間は不安を抱く生き物であり、その不安を隠すのに周囲との同化という体裁を
思ったり、威張ったり、周りを自分寄りに手なづけようとする生き物なのです。
どこか違う、不思議だ、また何かおかしい(あの人だ)という疑念が相手を攻撃
し村八分に迄陥れる卑怯さ、弱さを持つ。
特にゲイの感性や察知力に負けの焦燥感を抱くことまである場合、疎外(阻害)
して貶めるまでする人も中には実際に居る。
きちんとしている人・落ち度のない人であるほど、
周囲や無能力者、それはあなたのいうような協調性や同化の社会人で保身や昇進
を持とうとしている人間は邪推したり邪魔者にする(場合も多い)。
真にその人の能力を認めることのできる素直さを持つ強さを持った人間は、
ごくごく稀少であり、人に敬意を抱かず(陰で)退けて貶めて上に立った者ほど
その自分のやり方から外れて妙に堂々とした者や、どこか違和感を思う相手を
蔑むとか嘲笑うまでするのが往々にして社会の常であり、常でなくても実に多い
ということなのです。
では、そういう人々も混じっている中、その職場で、あなたはどうすればいいの
でしょうか。それは抗うことでもなく、牽制したり遣り合うことでもなく、
自分に下されたジャッジを恥じないでどういう辱めにも颯爽としていればいい、
周囲が他に靡いてあなたから遠ざかってもあなたは毅然としてスマイルでいれば
それでいいのだ、ということなのです。
なお、これは痩せ我慢という意味ではありません。
誰かが意地の悪いことをしてきたとしても、それを自然にかわし、自然体で自分
のできる手腕のマキシマムをすればそれでいい、僻むな避けるな遠ざかるな、
ということなのです。
しかし、そのとき、我々には巨大なストレスが降ってくる。
そのストレスをどういう風に消していくか、それが我々の命題であり、克服する
のが我々の道となる。
あなたは誰とどういう風に生きたいか。
どういうことで真に嬉しいものなのか。
周囲を味方に得て、世辞賛辞を得て、昇進して崇められる、阿られるのがあなた
の人生における最重要なのか、それを再々考え直して歩むべきでしょう。
あなたが最善の努力をしてもその組織(周囲)があなたを大事にしない、認めな
い場合、①あなたに(それでもまだ)落ち度が有るか、②周囲がその程度の陣容
なのかのどちらかなのです。
あなたが単身者で周囲の家族持ちの人々とは異なってもあなたの手腕を高く評価
できる人間こそが本当の優れた人間性と人徳者ということになる。
そういう人が居ない不幸に身を置いていても、その中であなたはそれでいいのだ
と進む強さを纏うまで必要だ、それがあなたに求められているあなたの幸福への
覚悟なのだ、というようなあたくしの冒頭の意味なのです。
不幸や不遇にがっかりする、否定するのではなく、その中でどうやって歩めるか
を捻出できるような人間になって行きなさい。
ないものねだりの悲観人生ではなく、与えられた中の自然体の「最善美」の実行
これこそがあなたの懐疑からの脱出になる。
出世した金銭と威張り顔(満悦顔)があなたの生涯をどう幸せにするものか。
そのことに囚われる迎合は、あなたの生まれてきた意味を冒涜する尺度であり、
結局、あなたは「周囲の卑小者に負け従って生きた」ということになる。
職場でもプライヴェートでも、「真実の愛」を求める人となるようになさい。
他者のあなたへの謎誹謗を懸念して一喜一憂しているほど人生は長くはないのです。
真理之丞愛滔々 (2018/10/27 Sat 11:17:49) pc *.164.149.191
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