
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたは何がどう起こっても堂々としていなさい。
そして、自分に対して忸怩たる思いのような気まずさで悩まなくてもよろしい。
早い話が、逸らすとか誤魔化すとかではなく、
ノリという迎合ではないけれど、
その話に乗って、すり替えて平然と(相手の論調に乗ってという意味です)
話を合わせてテキトーに話しておくのさえ、あたくしは奨める。
かしこまって黙って参加しなかったり、
否定したり、逸らしたり、
また反対に無理にノーマル架空演技話をすることもない。
この辺は渡世術とも関係しており、相手のことをどうかわしていくか、
交わっていくか、友好を持っていくか、
すべてにおいて必要なあなたの言動スキルなのです。
咄嗟の応じ方、と言い換えられるかもしれません。
そして、相手がどう馬鹿にしたり嘲笑しているか、それでその男の人間性の真価
も自ずと判る。茶化すことで粋がって談笑友好に寄せるようなお粗末な鈍感野郎
はあなたのプライヴェートで絶対に必要な人間ではありません。
あまっさえ、あなたがそうかもしれないと誰かが思っていて、もしもそれで
そんな話が噴き出している場合、その人間、その男の意地の悪さは最悪級です。
だから、反面教師のようにそうはならない自分を見直す機会とすればよく、
自分を恥じて違和感で悲しまなくてもいいのです。
そして、振られててその話の内容をお前はどうだと向けられたら嘘八百でいい。
重要なことは、世間がどうだから、最近はどうだから、ということでの肯定では
なくて、自分はそうは思わない、こう思う、と自分を(無理にではなく)貫き、
出せる人間が本当に敬える人だということです。
解らないならそれでいい、だが相手を誹謗する勿れ。
自分には解らないという尺度が無いのであれば、なおのこと、さまざまな事情や
どういう性向の人でも尊重するのが本当に優れた人格ということです。
いたたまれない自分に苦しむことなどありません。
顔を上げて堂々と彼らにないほどの笑顔で嘘をかましておけばいい。
「嘘」というものは偽善や悪ではなく、清廉を知らしめる、または貫く盾として
常用してよいものなのです。
虚しさや馬鹿馬鹿しさはあなたが自己否定している証ともいえるかもしれません。
そして、最後に、もしも公然と自分を示せるのであれば、それに優る道はないと
思うあたくしです。その人が強く、そうでない隠れ蓑の下の人間が哀れで馬鹿だ
ということなどないことを知りなさい。
真理之丞濫り恥 (2018/11/11 Sun 10:16:12) pc *.164.91.184
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