
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
繊細な感受性と僻みからの変化球、
毒が自分の株の正当化として、時に、自分の知る自分の醜さを笑いを取って
誤魔化して評価(納得されること)に代えようとするのが
この筋の人たちなのです。往々にしてということでは。
つまり、きつい言葉、物言い、誹謗はゲイにしろ、オネエさんにしろ、
毒づくこと、ないしキツイことを吐いて、鎧を纏っているという訳なのです。
そして、多くの人、複数の人を前にした場合や、
不特定多数に向けて匿名で語る場合に、それはいよいよエスカレートする傾向
があるのです。
あなた、とどのつまり、それは弱さの吐露、デリケート隠しの防御ということ
でもあり、どうしてそうなるか、と言えば、癒えない心の傷がそうさせている
ということを知ると楽になる。
その人々の心模様の本質を見透かすという訳です。
しかし、これには非常なイマジネーションと頭脳が要ることでもあります。
翻って、
本当に恋愛に足る人物像とは、強い人。
それも唯我独尊の自分の信念を貫くまでに意固地であるという意味ではなく、
実はどういう場合も優しくまた誠実に、そして根気や何よりも寛容である人
こそが眞の強さを持った人なのです。
そういう人たちは相手を誹謗しない。
批判はできても誹謗はしない。これが大切です。
そして、ゲイが求める愛とは最終的には許される自分、認めてもらえた寛大さ
と慈愛ということに行きつくように思われる。
だから、キツイ人ばっか、という観方で疑問視で止まっているあなたは、
実はあなたこそが皮相的な観方しかできていないカマゲイだということの証明
にもなっているのです。
本当の愛は厳しさに晒された許されるまでの寛容性に備えられるものなのです。
あなた、その人が自分を声高に卑下したり引用する時点で、可哀想な人であり、
弱い心を封印しているのだなと思えるようなあなたにならねばいけません。
そして、それを流せるあなた、笑いで誤魔化して同調するあなたを脱すること
を学んで行きましょう。
あたくしは辛さを乗り越えた暁にしか愛は求めえないと思っているのです。
そして、ともに乗り超えるという方策は無い訳ではないけれど、自分迷いと
自分探しの過程で傷んできた心をどう強さに変えた人であるのかで相手の価値
を見出すのです。
だから、涙と痛みは笑いを越えて寡黙に達し、その向こうには落ち着いた笑顔
が待っているような人を信頼するのです。
決して迎合ではなく、自分も相手も許す道にまで出ている人を探すべきです。
愛は地球を救う、という言葉があったけれど、
本当は違う。
痛みを超えた許す心の強さが誰もを救うということなのです。
そして、それをいつでもできる可能性に満ちているのが我々なのだということ
を知っても損はありません。
真理之丞滂沱峠 (2018/11/18 Sun 01:35:33) pc *.164.91.184
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