
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた
実は、
小学校時代という時節は人生に多大な影響力を与えるということを、世の中では
それほど重要視はしていないように思われるのですが、
あなたはさにあらず。
その時代の自分にとっての重要さを切に感じておられることでしょう。
どういうことなのかと言えば、
それは、青年期の多感な心というものや、思春期の迷い、葛藤と言うもの以前の
段階で、
無垢で純真純粋であった時代に受けた人間の卑小さや粗悪、また教師ですら
生徒をえこひいきすることを子どもは即座に感じるということも思いの外人生に
陰を落とすのであって、それを覚ったのだった、ということなのでした。
時代は巡り、
あなたも相応の大人になっておられる上での、現在の心情と憂鬱ということです
が、あなたもまた遠い純な心の時代に思いを馳せて、
そこに今の自分の状況の核というか、原点が在ると思っている訳です。
そして、それは大いに当たっているのです。
あなたが、他方妙なプライドが邪魔をすると書いているのは、
あたくしに言わせると、あなたの誠実と善良の証しなのであり、あなたが自分で
自分を立たせ、護らなければいけなかった孤独と強さの自意識というものなので
あり、あたくしはあなたのその自己分析が愛おしい。
それほど、あなたは心痛み、傷つき、抗い、涙もこらえて歩んで来た。
だから、そのプライドを卑下することは一切ありません。
あたくしが今言いたいことは、そういう歩みの連続と自問自答の中=自己防衛の
道のりで、あなたは既に孤独の鋳型を纏ってるともいえる訳で、
つまり、それがもう心地よさと安心を得る精神の礎にもなっているだろうという
ことです。だから、あなたが無理をして誰かと交わり、誰かと心底笑って語らえ
たとしても、あなたはいずれまた孤独裡に戻るであろうと思う訳なのです。
そして、そのことも、実はそれでいいのだということをあたくしはあなたに説き
たいと思ってこれを書こうと思ったのです。
人間はしょせん独りなんだ、最期は独りで逝くのだ、
という極論で解ったような冷めた「自己正当化をするということ」「ではなく」
「独りを嘆くには足らない」ということを是非知って欲しく思う。
詭弁のように聞こえる(読める)かもしれませんが、
人生は自分との対話と闘いであり、それで乗り越えていくものが理想的なのだと
あたくしは思っているのです。
誰かと「ダベる」、誰かといつも一緒、誰かと腹を割って語明かす、
どこへ行くのでも誰かが添ってくれると、それは傍目にはいかにも楽し気であり
満ち足りた人生行路のように思われるかもしれません。
真理之丞あなた (2019/01/12 Sat 01:52:07) pc *.164.154.76
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