
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、あなたがすこぶる善良で真面目で誠実であり、常識家であることを
あたくしは讃えます。
あなたの思いはすこぶる正常であり、バカでも根性無しでも弱いのでも全然
ありません。あなたは素敵な人ですよ。その心買いましょう。
本当に自分を知って本当に誠実を行く人間はどこかで死の札を持っているの
です。死がいつでも想念の中で過るのです。
怖くてまるきり実行できなくてもその言葉を脳裏で抱き、すぐに思い出す。
そのことに異常さを思うとか、情けなさを思うことは今日から排しなさい。
あなたはそれでいい。
そして、よくお聴きなさい。
その死のことを具体的に考えなさい。
そう、見据えて用意しておくことはこれからの人生、例えどう未来が前途洋々
で希望に満ちていても誰でもそれは必要なことなのです。
自分が結婚もせずにどう歩めるのか。最後はどうなるのか。
最期をどうするのか。
その具体的を思うことと、実際に用意をしてみることで、
実は心は段々と澄んで行く。そして、不思議なことに諦めも自嘲の強さも湧く
ことになるでしょう。そしてどうであれ、まぁ、それでいいかとまた歩き出す。
そういう風になることを祈ります。
そして、どうしてこう書くかと言えば、
人間はみんな目先のことに振り回されてそれで精一杯の渦中に在ることが
多く、また、いかに未来を嘱望されているような人でも、
実際には孤独も寂寥感も、自分の真の遣り甲斐や醍醐味も、あなたとはそう
変らないものなのだということをあなたは知るべきなのです。
自分がどうせ何も無いというのはあなたの無知が原因なのです。
その無知は別名「達観」ともいう。
この達観とは、何も修行や悟りが必要な高尚なものではありません。
それでいいという自分の価値観を確固たるものにする覚悟のことなのです。
あなたの人生でそれでいい。
何も無くても、それでもいい、小さなことに喜び、何かを懸命にしてみる。
その小ささを嘲笑うあなただから死にたいということなになる。
何もすることもしたいこともないと言い張る。
しかし、したいことは、何かを懸命にしてみることで出来てくるものなので
あって、それを一生懸命やってみたという人が無闇に悲観して死にたいなど
と言うことは滅多に少ないのです。
何もしないで楽をして、無為に過ごす夢男夢女が死にたいと思うのです。
そう、理想を追い求め過ぎて、平凡や稚拙を自ら哂ってしまう無責任人間。
あなた。生まれて来た軌跡に責任を持ちましょう。
そして、羨望を棄てなさい。あなたはあなたでいいのです。
何も無くてもそれでいいのです。先ずは小さなことをやり抜いてみるし、
それを遂げた日々を自分が褒めてやる。そして次のこともそうしてみること
で人生は繋がっていく。
自分で自分を蔑む。
これがゲイの人の一番悪い癖であり、陥りやすい愚かさなのです。
自信までは要らないけれど、自分を大事にして小さなことを侮るな。それを
喜ぶことを課しなさい。
そして誰もが鎧をはぎ取って観れば孤独で死と身近な存在なのです。
それがそう見えないことを解らない浅さがあなたの問題であり、死を思う
原因なのです。
何も良いことが無いというのは無知の壁を越えない自分だということです。
あなたにも笑顔になる先が在る。そのことをを諦めてはいけません。
そして笑顔でなくてもいい人生というものに悲観する勿れ。
笑顔と理想に囚われた無知なる停滞者。
そのことを今一度考えてみてください。絶望というのは自分を褒めない人や
理想に囚われた現実回避癖の逃げ込み言い訳なのです。
死ぬなら、その前に、本気で花(植木)の世話でもしてみなさい。
真理之丞死舞踏 (2019/10/05 Sat 23:59:48) pc *.165.88.66
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