ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
君の相談文を読み、2つの相反する感情が、湧く。
16の終わりに、青梅と山手の交差点で、目印のジャンプを持っていたら、Aさんは、笑顔で、迎えに来てくれた。
着ていた服の色まで鮮明に覚えている。
その時、伝言で知り合ったAさんは、5年前、自ら死んだ。
Aさんが元気だった頃のサークル仲間から伝わり、知った。
親に告白なんて、殺されたくないよ。うちの田舎は、そういう所。
君には、わからない。
雄としては、タイプでなかったから、ごくたまに飲食を共にするだけで、晩年は、ずっと疎遠だった。
体もだが、精神が先にやられ、仕事どころでなくなったという。
今は、どうだか知らないが、当時、生活保護申請するのに、縁戚からの援助は受けられない証明が、必要だったらしい。
その為には、親兄弟に、申請理由を言わざるを得ない。
Aさんには、遂に、できなかった。
本人に今更、訊けないから、細かい所は推測でしかない。
それでも、やはり、HIV感染者に対しては、考え得る限りの救援をしても、いいんじゃないか。公的にも民間からも。
という、感傷に溺れた、感情が1つ。
それが暴論で、整合性も論理性も、無茶苦茶なのも本当である。
依怙贔屓は許されない。
世界中で福祉も援助も転換期を迎えていて、難民を業とする人々も出現している。
義援金が糧なのに、難民キャンプ内の貸しビデオ屋が、繁盛している場所もある。
日本の、ある地方では、おじいさんもお父さんも、そして私も、生活保護受給者、という3代目が、冗談抜きで、出て来ているのだ。
やはり、最低限度の文化的な生活、の線を、引き上げるべきではないのだろう。
というのが、もう1つの理性的感情である。
ごめんなさい。回答にならなかった。
アンビヴァレンス (2010/06/02 Wed 23:40:33) au 050050125348**
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