
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたの書式は憶えている。
そしてこのように描けるあなたを愛おしく思うあたくし。その文才はきちんと学んだ人の、相応の知見を持った人間の成せる技。
と、フィクションでもいいのです。そしてあなたは深刻な懊悩として書いて
いるのであって、その事例に応えたいいつものあたくし。
この前口上は無視なさい。
あのね。あなた。
あなたは「苦しい」と書いている。それが端的に答になります。
遅かれ早かれあなたはその鎖を断ち切らねばいけないというのがあたくしの
結論。もう十分甘い汁に浴しました。エロスの官能もまだまだ未体験ゾーン
を求めるという段階ではありますまいに。
あなたの官能小説ばりの脳と脊髄のエクスタシーの後のカタルシスはそろそろ
終わりに向わせましょう。
それが三十を見据えてあなたが採らねばいけない正当な道です。
滅多なことではゲイ恋もゲイエロスも享受し得ないからと言ってそのままの
年月を重ね行くのはあなたの未知領域への能動性と交際術を培い得ない。
あなたはまともな若さの時代を生きるべきなのです。
何がまともかは問わないでおけ。人生のマトモとふつうという意味であって、
座軸を変えて恋愛も観て見るべきとあたくしはお奨めします。
人間の多様性と、一般的な生計の上の恋愛というものを肯定できるような自己実現をを持って行くことが、更にその後の選択眼を堅固にするのです。
今のままの「人形生活」は生きるべくした自主性も能動性も無い。
求められる熱い衝動の火照りの後で、あなたは自分の人生にどう有益なことが
起きているのでしょうか。否、悶々とした薄暗い情動と、その対極にある
DVに慣らされたかのような激情を浴びて放心するだけのことだろう…。
癒やされるというけれど、与えられるものによる癒しはマゾヒズムというべき
ものであり、心満ち足りる癒しとは別物ともいえる。混同しないように。
あなたに問う。
あなたが一切を支出しているのかどうか。
そしてそれは<男娼の夜>とどう違うのかどうか。
彼でなければいけない魔力なのかどうか。
あなたの病態は心の病も少しは関係しているようです。(遠因)
それは、夢想と現実の間を行き来する隠微なファンタジーのようなものへの
渇望が、おそらくは幼少時からの不安症のような?焦燥感ないし恐怖心、
すなわち純粋だった少年の時期の何か孤独感のようなものに起因していると
あたくしは想像するのです。
だから、求められる激しさ、そして相手の果てるカタストロフ(射精)にも
あなたはホッと安心する訳なのです。どうですか…。
冒頭で述べたように、そろそろあなたは「あなたの開拓」を始めなさい。
依存を排除なさい。あなたのそのエロスは、別名依存魔ということなのです。
お金もエロスも依存した。人形としての自分に慣らされた。
自分で恋は築き、協働で歩む道というものも味わうようになさい。
そしてそれこそは自立(自律)ということになる。
待って待って尽き果てる男との邂逅は恋とも愛とも言いません。
そういう世界も路もある。しかし、自分を見失うことがあってはならないと
思うあたくし。あなたの世界を相手にも与えて喜ばれる恋をするべきだ。
最後に、
あなたの現在の泥濘は自分との強力な闘いでしか乗り超えられないものなの
です。依存とはそういうものであり、抜け出すのはかなり難しい。
彼がすべてというには足らない彼像が浮き彫りになっているあなたの相談文。
あなた、あたくしへの挑戦状(の如きご質問)しかと受け留めましたゎ。
https://youtu.be/gU0GhulKYoM
真理之丞邯鄲愛 (2020/03/28 Sat 15:07:39) pc *.83.17.209
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