
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
同じ感覚の人を求む!なので、お門違いでシッシされるかもしれませぬけれど
書きましょう。痩せマッチョを誇ったあたくしも意見もできると思うのだ。
あのねあなた。
あなたのその考えは浅い。
浅くてもどうでもいいだろってのがあなたのここでの主張なんだけど、
その溜飲の下がる感覚は特殊空間や誰かとのエッチ空間でだけのもの、そして
あなたの閉じた心の風景だけのものだろうと思うので、少し残念な気がする。
あたくしが今思ったのは、
人間にとって生きているのはエッチのためか、エッチ以外のためかという命題
のことです。畏まって生きて仕事していても、一皮むけばエッチが根底を占め
ているのか、そうじゃないのか、どうなのだろう…。
あたくしは正直解らない。
どんな仏頂面で、どんな正義を語って、どんな真面目ぶっていても、
それを全てに生きている我々じゃない気がする。
どんなエライ人でも恋愛が心を占める。
もちろん、恋愛の結果の家族や子育てで目一杯の時節を生きている人も居るで
しょう。子どもの受験で家族に制御されている男の場合もあるでしょう。
しかし、一応は、愛と切っても切れない性愛が誰にもプライヴェートの多くを
占めている訳であり、そこで求められる垂涎の意味は大きいのかもしれない。
だけれども、あたくしはあなたに挑む。
その根性はすみませんが、たぶん負け犬の遠吠えのようなものであり、
何の意味もない他人の存在が無い鬱憤晴らしに近い。
マッチョ実現やマッチョ賛美で世の中の殆んどは構成されていない。
目指されてもいない。拍手と歓声は発生しても、それでその賛美に囚われて
あなたや誰それが淫靡な世界を越えて色目で追われることもない。
あたくしが気になったのは、あなたの言葉。
「露骨に拒否・罵倒」「無謀にも伸ばした手は払いのけられ」というくだり。
そこにあなたの捻じれた鬱積のようなものが潜んでいるように思われる。
あなた自身がふつうに自己実現できたり、賞賛される経験を持って来た場合、
そういう心を思い描くとか唾棄するように描くこともない筈だ。
何かに満ち足りていない者の妄想言語の、刃のような武器。
そして、もっと思うのは、「服を着ても出るまでアピールされる」目撃談。
あなたがそこまでも粘着・執着で見つめている者なのだという証拠。
あなたは人間の本質のようなものの優越感や価値を書いたようでいて、
実は、浮かび上がるのはあなたの増幅された「恨み節のような心根」なのだ
と思うから気になった。
マッチョと何かできて何がどう変わる人生か。
そのハッテンに明け暮れて益々あなたにも磨きがかかるのか。
あなたには是非、真のdiversityに通ずる心の真価や、交際で読み取った相手
の心模様の上でのエロスの追求を持って欲しい。
エッチ売りの剥き出しのサカリ合いの場での優位性に酔うのではなく、
本当に愛されることや愛する道というものの中のエッチを欲しがって欲しい。
夢想の機械的エレクトじゃない愛の芽を慈しむ衝動からの行為は確実に在る。
エロスを自分の身体で示すストイックな美学もありましょう。しかし、
人が生きる上のエロスとはオナニズムの世界じゃないのです。
誰かとの交歓(そしてエッチ)にも人生が投影される方がいい。
あたくしは、エロスのためには生きていない。向こう見ずな青春は終わり、
今は人間性の光るものにエロティシズムを思う。
ヒエラルキーという目線から脱せるあなたであって欲しいと願っています。
https://youtu.be/sDMYiRgLdzw
真理之丞諸刃剣 (2020/04/02 Thu 00:43:18) pc *.83.17.209
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