
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
心と想像力。
友人関係にはこれらの二つが必須です。
ネット男漁りでは、これらが無いのであって、顔験しとあやかれ度と下半身
慾しかありません。本気の友人を探すという人が居るには居ても、
それが同性でありゲイであれば、下半身慾ということが相手のアタリだった
場合には最大限に響くことになり、それが笑顔になるのを誰もが頷けること
だろう。
心で会話してその心が欲しいと思って本気でご機嫌伺などするネット依存が
滅多にないことを誰だって知っているけれど、隠している。
という訳で、友達という形態から入ろうと躍起になるのは間違いであり、
結果的に気付けばそれはもう友人も同然になっていた、という航路を執らね
ばなりません。
しかし、どこかの誰かとそんな喜怒哀楽の共有で時間を無為にできるはずが
ない。八卦の当たりに期待する中で本気の思い遣りが渦巻ける筈が無い。
あたくしが思うのは、
あなたにどんな場が持てるのか、趣味がとか、仕事は何だとか、
余暇では何をしているのかとか、
そんなこんなをあなたから訊き出してもあまり友人形成に役には立たなそう
ですね。
となれば、あなたには注意を促しておくことだけはしておかねばならない。
友人とは、性の明け透けを見せ合い、しかもこのご時世の対極にある至近
濃密で身体を触り合った共有意識で持つ安心感で為す交信や会話ではなく、
あたくしが最初に書いた、彼の素を知らない間でも心を捧げ、信頼を届け、
またあなたが無駄と切り捨てるかもしれない想像力に賭けて相手に自分から
問いかける無駄と紙一重の勇気というものが要るということです。
そして、あなたの性以外の人生にその人を求めて行く能動性が求められるの
です。欲しい時にだけ声をかけるのは仕事の関係。
無駄で見返りも欲せず、しかし、笑い合いたいという心、情けを向ける心、
そして、彼がどういう状況で自分は何をできるかという無償の愛を持てる己
というものを自覚して誰かと向き合わなければ友人にはなり得ない。
つまり、無駄や打算、また自分の労を先に思って悔しがる・腹の立つ自分が
いつでも先に在るような場合、あなたには友人というものはできません。
そして必要も無い場合はそれでいいのです。
しかし、あなたは友人というものを求めている可能性が高く、それであるの
であれば、あなたが誰かを求めるだけはあなたの投影心が必要になるのです。
あたくしはあなたの場合、エッチの後の友人ができたのであればそれもいい
じゃんとも思ったのだけれど、あなたの場合のそのエッチ後友人は何か不足
でもあるのかどうか。
あなたのその友人とはもしかして「知り合い」なのではないのかどうか。
「知り合い」と「友人」「友」は違う。
「竹馬の友」のそれを本当の「友」の代名詞として挙げる心には、早い話が
無駄と無為と本気の純粋な喜怒哀楽を共有できた価値からそう云う訳なのだ。
それを故意に造ろうと思うには大人ではもう遅い。
しかし、それでも可能である訳は、相手を認め欲しいと求める献身と共有の
価値を自分の中に置かねばいけない。
すなわち、自分よりは相手のことを想う想像力と駆け引きの無い思い遣りの
心、もっと言えば、相手が困っていることに添える時間意識を持てるかどう
かということが重要になる。
相手の本当の姿を知らない信用と信頼とも言い換えられる。
そこには期待しない見返りを求めない心というものが問われる訳なのです。
友人像に期待する必要はありません。
しかし、自分一人がいいのか否か、それ次第では上記のような明確な自覚が
求められることを理解していなければいけません。
アプリエッチ期待にはおよそ期待できない、長丁場の持続的愛というものが
問われることなのです。
https://youtu.be/DhF-4rH1tBE
真理之丞長丁場 (2020/05/20 Wed 23:20:37) pc *.80.238.158
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