
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
これについては、
そんなことはなかなか無い、というのがあたくしがすぐに思い浮かべたこと
でした。いいえ、正確に述べると、この世の中の恋愛で、そういうことは
ゴマンと有るし、誰もがそういう果てに結婚もしている、ということを
あたくしは解っている。
しかし、それでもなかなか無いだろうと思ったのには訳がある。
タイプじゃない人が恋愛対象になるのは、急な場合では大方あり得ないので
あって、あなたの思い人とあなたがどんな時間や経緯を経ているのか、と
そのことが上記の可能な歴史の大きな理由になっていることを知っておかね
ばいけないだろう、とそれを思う訳です。
全然違う様子雰囲気、顔や体躯の誰かをそれでも恋愛してエッチもしたいと
そんな風に前以て思う人は滅多に居ないだろうと想像したのです。
タイプじゃない人が恋愛対象になるには、相応の時間と、相手の言動、
そして自分の心の弱り方や柔軟性を持てる余裕など、
さまざまなことが背景に在り、
そんな中で、何かハッとさせられるとか、よくよく相手の人格や熱意に思い
至り気付かされたとか、多くは情にほだされて、そこまで思ってくれる人は
もう居ないかもしれないというある意味諦め的な感情がどこかに湧いて、
それが思いを変えて行く契機になる、
その結果、いつの間にか彼になっていた、と、男女間の感じで想定する訳な
のだけれど、そんな感じがその場合の主流ではないかと思うあたくし。
ゲイの場合、どこか拘りや好みが激しく固定されていて、
違うということに対して柔軟性を以て考えることができにくいのではないか
とそれを一番先に思ったあたくしなので冒頭の一句から書き始めたのですが、
あなたのこの質問の背景事情はどんなことだったのだろう。
ゲイの美意識というか、偏狭さというか、何かのきっかけで好きなタイプは
案外煩いものがあって、違うのを簡単に寝れても好きにはなかなかなれない
と思うあたくしの意見についてあなたはどう思うでしょうか。
気付けば一緒に居た、という時間性もそれは言い方を変えると惰性的なこと
とも言えるようにも思われる。よく見れば可愛かったとか、飽きない顔だと
か、なんとでも好きな理由を捏造できる。
しかし、本当に理想とする欲情に結びついた相手であり得たのかという問い
に対しては首を横に振ることが多いのではないかと思うのです。
好きになったらその人に一途、ということも結果論としての理屈。
したがって、なにがしか頼りになるとか、才覚に尊敬できたとか、相手が
自分を強く思って諦めなかったとか、そういう良い意味での執着というもの
を仲立ちにする場合が多いということを思うあたくしなので、一応返答を
書いておきたいと思ったの。
世の中、一番好きな人とは結ばれないということが大抵ということは解って
います。しかし、タイプじゃないことを恋愛のど真ん中に据えて人生の多く
の時間を歩んで行けるものか、相手を変えることは本当に難しい。
女性と男性の思いの持続性ということでもそう思う訳ですがどうでしょう。
真理之丞間歇愛 (2020/05/25 Mon 02:21:50) pc *.80.238.158
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