
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、申さずにはおれないことなので書きましょう。
学会人はすばらしく優しさに満ちている。
そしてそれは人の心を解ろうとする運動の渦なのに、その集団は拡がりを
求めてきれいな心への希求を運動に捧げて励みを持とうとするのです。
あたくしの大切な無二の友が二代目の学会の清らの人だった。
そして感激が乾かなかったのに、その盲信の運動の勢力が鼻に付いて彼を
棄てることになる。あの人は今いずこ。
あたくしが否定だけをしない判断を持つのには、
その人人の大半が人を確実に解ろうとする心根でそこに嵌っていることが
確実にあって、あたくしの出遭いの二代目が進んで信徒に向ったのでも
ないのに、その心は稀有な暖かさを禁じ得なかった。
あたくしが語った結論と棄ててしまった結論は、
その枠組みでなくても同じ心を生きることもできるという信念からだった。
そして、あたくしの困惑を彼が実利的に助けることに躊躇したきれいごと
に失望したからだった。
彼からの電話を切ってしまったあの心の疵は今も癒えないままなのです。
あなたの問いがどういうところから来ているのか、
ただの喧伝の可能性が真っ先に思い浮かぶのはあたくしだけではあります
まいに。しかし、優しさは尋常ならざる域であるのは確実なのです。
だから優しさは嘘ではないのです。
でもその優しさを自分が生じさせて語ることのできる逸材も居る。
そこには苦しんだ痕跡が必ずほどあったりすることも確実です。その苦し
みを逃避にも似た集団の温かさに求めて、そこにだけ光が有ると思うのが
あたくしが赦せなかった誤謬と信ずるところです。
でも、そうとしかできない信じ方も在る。
ですので、その人たちの運動は横に置いておいて、それ以外の面で彼等を
誹謗するのはたぶん間違いです。
あなたには自分が生み出す苦悩というものを大切にしてほしい。
そのことだけどうしても語る必要があるあたくし。
それではさようなら、ありがとうあたくしの愛する友よ。
con forza, mercè, dilette amiche!!!
極悪の真理之丞ちゃまより
真理之丞誤謬愛 (2020/05/26 Tue 21:10:14) pc *.80.238.158
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