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Re: 不遇なとき

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No.463363 Re: 不遇なとき

あたくしは不遇という時間が来た場合、
そこでジリジリと灼熱地獄ではありませんが、自分の心と向き合い、正義と
人の心の弱さ(それは残酷)を知って自分が忍耐から強く変わって行く時季
だろうと思っておりますの。

不遇とは忍耐でしかありません。
何か広い意味での自己啓発にとりかかろうとしてみても、
それはふとしたチャンスやきっかけで為される場合というだけのこと、
自らが今こそは来る時に備えて何か保養保全に勤しむというのは、
過ぎてみれば解る訳ですが、違うような気がするようになっている。

以前ならあたくしも今だからこそできることもあるというような見方で説い
たかもしれません。しかし、不遇は、何もできないようなことに陥る、
ないし何をやっても空回りするからこその、その名称なのであり、
遮二無二足掻くことは本当はしないでいいのです。
しかし、その代わり、忍耐が求められる。
その忍耐に負けてしまう場合は、何かに溺れたり道を誤ることも起こり得る
ということになる。

その忍耐に添える人が居てくれた場合はとてもありがたく、すばらしい。

本当に参って心が弱っている時に向き合ってくれる、何もなかった顔でその
まま接して声もかけてきてくれる、
あなたが有頂天であなたが成功の途である時に良い顔でつるむ仲ではなく、
あなたが不幸と悲哀で誰にも会いたくない時にあなたに誰かから声が届く、
そのような人物や心根こそは、本当に悲しみを解って自らも何か思索を重ね
てきているような人であろうとあたくしの場合は察する。

そして何がどう為されても心が晴れず気が進まない、と、
それは実は自分と向き合って、自分の考えや言動の在り方、傾向、過去の件
を自分が思い直して自他を正しく捉え直すチャンスがあなたに与えられたと
みるべきで、あなたを修正させていく、思い上がりを諫める自然な力が働い
ているとみるべき(そんな)時期なのです。

つまり、粛々と淡々と、成否への腐心ではなく、いざなわれるままの時間を
進む・進ませるしかないのです。そこで健康も害し、なにがどうであれば
健康でいられるのかも身に沁みて考えるということも起る。
「弱り目に祟り目」という言葉がありますが、不遇は不幸の怒涛でもあるの
であって、楽観的に前向きに、などというお気楽さで片付けられるものでは
ないのです。負の連鎖、成功の連鎖、それもこれもあなたへの運命と宿命の
ような見えない力が起こさせるものであって、
成功や享楽で自他を見失う思いあがりが生じるのが人間で、それを制する
人間の誰もに備わっている性善の道があなたを窮させて気付かせる訳であり、
その時機が不遇ということになる。

すなわち、自分の弱さに気付くという時節でもあって、自分を知り思い直す
と同時に、誰が本当の愛を持っているのかも教えてくれる時期が不遇という
ことなのです。(そのことに気付かない場合は不遇には足らない。)

すなわち、淡々と進むしかないけれども思索せねばならない。
気付かなければいけない時間が来ているということなのです。

あなた、あなたがどうしてその言葉を載せたのかはしりません。しかし、
不遇というのは楽観や安心で捉えてはいけない事態なのです。
そして、どんなことが価値があって人生に必要なことなのか、それに気づく
ためには沈む時間が絶対に要る。あなたに不遇と思う悲哀が有るのであれば、
それはむしろ、気付かされるための穴として、むしろ「喜ぶべきもの」と
いう逆説で捉えるべきまであるでしょう。

あたくしは「無」の上で「愛を再考する時」というように捉えておりますの。
そこから脱せない時はあなたに必要なのは体力と睡眠の上の「挑戦」です。
https://youtu.be/fBXynuiRPtA

真理之丞不死鳥 (2020/06/02 Tue 00:14:10) pc *.80.238.158


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