
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あのね。
それには軽くない意味が潜んでいるのです。
あたくしの見立てでは、ある種の性的なまなざし。
それは異性であれ、同性であれ、そこをすっ飛ばして、ハッとしたエロスの
断片を観たような驚きで、そう吐いた、
というのがリアルな分析です。
だからといって、あなたと(まさか)ねんごろになりたいとか、
エッチを意識するとか、そういうことではないのですが、あなたの手の美麗
さとあなたの同性であってもそう観た「可愛さ」は、
あなたが女の子であれば「行った!」かもしれないというような幻影の錯覚
が潜んでいる正直な吐露なのです。
すなわち、あなたはそれを不愉快でなければ喜んでいい。自慢していい。
でも、それを越える妄執に囚われてはいけない。
古い時代の言葉で言えば、まぁ今でも言うことも有る訳ですが、
それは「色気」というようなものなのです。同時に、後者の場合は、
可愛さの場合は「撫で廻したい!」みたいな可愛がりたい意識。
でも、それとて実際にあなたとどうにかなりたい意識で述べた訳じゃない。
自分のことを書くのは醜悪かもしれないけれど、
どうしてそんなことを書くかと言えば、
あたくしも実は昔女たちにだったけれど、手が綺麗!と遠くから叫ばれたり、
カワイイ~なんてヒソヒソ言われた経験が有るのです。
その時はまだまだ碧い青年でひ弱でしかありませんでしたが、
あの時のあの叫びはどういうものだったかと後年までいつも思い出したり
したものでした。が、その時は答が出なかった、、、
しかし、今やっと解るのは、それは目ざとくそこをみて「感じた叫び!」
だった訳であり、そこが引き立って、目立っていた事実だったのは間違い
ないという共感であっただろうということです。
それは決して無責任というものではありません。
あなたのエロスがそれを無責任としたい訳であり(ここ重要!)、
相手は事実を叫んだのだということを解って行かねばなりません。
そして、あなたのエロスとどう決着をつけるか、あなたがどうエロスを実施
して行けるか、無責任と怒ったり息巻くのではなく、あなたの同性愛者の
深刻な課題ということな訳なのです。
(あなたが女性になりたいような人であれば、ますます焦燥感に違和感で
悲しむだろうし、そうでなければそれは利点になるのか欠点になるのかまで
解って行かねばならない。)
すなわち、報われないノンケ願望でジレンマに陥るとか自他に幻滅するので
はなく、誰をどのように愛して行けるのか、あなたはリアルに自分を実践し
て行かなければいけないのです。
そして、そんなことを言われただけで恋心を持つような(安易な!)夢想を
排していかねばならないのです。
「自分のことを自分が一番知らない。」
あなたの美醜を超えてあなたの性欲を実現していく道を考えて歩みなさい。
https://youtu.be/X9sOXjSjS-A
真理之丞比丘主 (2020/06/08 Mon 01:08:08) pc *.80.238.158
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