
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたの吐露を読んで、いくら異名のイエスでも限界を感じるあたくしです。
それほどあなたの闇と埋没は深い。いや、あなたが深くしている。
あなたを読むつけ、「囚われている」「自分を追い込んでいる」ということ
を思わずにはおれません。
あなたの吐露を読んで思ったのは、やはりあなたへ最初に記した回答の列挙
の提示が当たっているのではないかということです。
あなたもそう書いて返答くださったけれど、あなたはさて、そのことを今後
どのように受け留めて行ってくださるのだろう。
ですので、そのことに立ち返って、自分の脳内を整理してみてほしい。
あなたは何が欲しいのか。
あなたは誰にどうして欲しいのか。
あなたはなぜ悔しがっているのか。あなたの歓びは誰にどうしてもらえる
ことで得られるものなのか。つまり、あなたはどうしてもらったらすべてを
捨て去って前向きになれるのか。ということです。
その答えはどうでしょう。
あなたに自分を追い込んでいると書いたのはそのためです。
あなたは人を登場させて、関わった関係性から、それらの人をして自分が
こうまでも苦しむことになったといわんばかりな訳なのですが、
あなたが自分を認めて反省している下りは本気でそう思っているのかどうか。
本気であれば、他人にそこまで執着しないで、自分で完徹するように努力
するだろうと思う訳ですあたくしは。
しかしあなたはAとBを出してきて、要するに裏切られたと言いたいのです。
それはただの怒りでもなく、Aについて過大評価をしたからなのです。
Aを盲信したからなのです。
疑っていたと書いているけれど、試すほど期待して関わったのはあなたなの
です。彼が黙る以前にあなたが黙るほど自分で解決すべきことも多いのが
あなたの病理のような心根です。だからあたくしは二回目にそう書いた。
再度云う。あなたは誰に何をどうしてもらいたいのか。
信じ合って励まし合って心の支えが欲しいのか。
否、どんな相手人間ですら、信じるになんか足りません。人生はいつでも
そもそも一人きり自分だけなのです。それを若い時代には交際によって惑い
紛れているだけのことであって、本当に信用できるのは自分一人で進む姿の
誰かというほど孤独な存在なのです。
あなたたちの利害がどういうものだったのかわかりません。
そして仕事でも絡んだのかもしれません。
しかし、あなたは独りに耐えられないで誰かに自分を諭して欲しいように、
言い方を変えたら、縋って試してみたい依存度が異様に高い訳です。
すなわち、誰かがなんとか解決に誘ってくれる、自分を収束されてくれる。
そう願っているあなたが居るのです。
否、誰もあなたを心底幸福になどできはしない。
あなたが人、他者に見切りをつけて自分の中で拘りと「自害惑い」のことを
避けて強くならないとどうしようもないのです。
あなたはあなた。あたくしの昔からの呪文にはそういう気持ちも込めている。
あなた、自分の弱さを周囲で紛らせるような道を断ちなさい。
そして同時に、自分は(もう)それでいいんだと自分を認めなさい。
猜疑心というのは諦めの悪い勘違いと自分をよく見せたい意識から生まれる
ものなのです。あなたは自分を卑下しているけれど、本当は自分が崇められ
はしなくとも認められて、かつ、救われたい訳なのです。
救われるために人を試して信じてみた挙句に裏切られたと息巻くのは辞めな
さい。他人への依存、他人への執着。他人からしか自分を立たせられない
弱さを誤魔化して、それが破綻すると怒り心頭涙に溺れ糾弾して責め立てる。
自分が強くならねばいけないというのがあなたに求められている課題です。
誰がどうあなたのことを辱めようと、もう終わったことはそこまでとする。
それを無念で息巻いても払拭なんかできません。
他者にどう判ってしまっても、罪人でもなければ黙って風雪に耐えなさい。
そして素直になるのは、一番に、自分に対してでありなさい。
あたくしはあなたのような心の人にはそれでいいのだからと無駄に足掻かな
いことを祈るばかりです。あなたには惑いを超えて前を向いて欲しいと願う。
それが究極のあたくしのあなたへのエールです。
真理之丞足許愛 (2020/06/19 Fri 02:26:18) pc *.80.238.158
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